アニバーサリー





※「就任前夜」続編。サスケ視点。
 未来捏造。サスケが木ノ葉に帰還。火影×補佐(上忍)。





 まだ早朝と呼べる時間、朝陽が山の向こうから少しずつその光で暗闇だった空を白く染め始めた時刻に、ほんの一、二秒鳴った目覚まし時計を止めてサスケはそっと身体を起こした。昨日も忙しかったのだろう、隣で眠るナルトは未だ規則正しく穏やかな寝息をたてたまま意識が浮上する様子は無い。
 恋人を起こさないようベッドから降りようとして身動ぎした瞬間、薄暗い寝室の中視界の端に僅かな光を見た気がして視線をさまよわせれば、自分の掌に行きついた。どうやら指輪を嵌めたまま眠ってしまったらしい。さり気無くナルトの左手へ視線を向けると、彼の指にも同じものが光っていた。

 ――結婚してください。

 不意に昨晩の記憶が蘇り、心拍数が上がる胸を落ちつける為右手をあててちいさく深呼吸する。こんなところでぐずぐずしている暇は無いのだ。就任式は午前の遅い時間からと決まっていたが、それまでに打ち合わせておきたい事や片づけなくてはならない雑務が山程ある。ただでさえ堅苦しい事が苦手なナルトは今日はとても気疲れする筈だと思うと、少しでも長く寝かせてやりたかった。
 音を立てぬよう静かにベッドを降りる。十分に気持ちを落ち着かせたつもりだったというのに、寝室を出る間際恋人を起こしてしまわなかったか確認する為に振り返れば、その瞬間にまた昨夜の記憶が思い起こされ頬が熱くなった。左手に嵌まっている着け慣れない指輪の感触が違和感を訴えるが、悪い気分では無い。
 真っ直ぐに見詰めて来る瞳は薄暗い部屋の中でも綺麗に青く光っていて、その表情は滅多に見る事が出来無いくらい真剣そのものだった。付き合ってもう随分長くなり、日常生活の中でナルト相手に胸が高鳴る事なんて良い意味でもうだいぶ少なくなっていたというのに、そんな恋人と対峙した時、どうしようも無く胸が高鳴った自分に酷く動揺した。
明日、ナルトの夢が叶う。その前夜に呼び出され、求婚してくるなんて全く狡いことこの上無い。自分が冷静沈着である自負を持つサスケですら、式典の日が近付くにつれ感慨深さについ考え事をしてしまう事が増えていた。
ナルトはずっと苦労してきたのだ。幼い頃は同じ里に住む住民に冷たくあしらわれ、下忍になれば腹に飼う九尾の存在に振り回され、サスケが里を抜けてからはずっと心に重荷を背負ってきた。そんな中で戦争を経験し、表向き世界が落ち着いてからも、小競り合いや紛争を収める為に動きまわって来たのだ。その傍ら、火影になる為の勉強にも励むナルトの姿を見て、ああ本当にコイツは成長したんだな、とサスケは素直に感心したものだった。
顔を洗い窓を開けて換気をし、それからすぐに朝食の準備に取り掛かる。例え時間に余裕が無くとも朝食を抜く訳にはいかない。同居を始めてから食事は交代で担ってきたが、就任式が間近に迫ってからのナルトの生活は以前にも増して慌ただしくなり、サスケが用意する事が多くなっていた。何しろ、式典では気難しい年寄りを納得させ、新しい長としてのナルトを認めさせねばならないのだ。伝統の儀式だとか挨拶だとか身のこなし、立ち居振る舞いまで上役達に口を出され、ナルトだけでは無く綱手までうんざりした表情を浮かべていた事は記憶に新しい。
 買い置きしてある乾燥麺を戸棚から取り出し、冷蔵庫の中を覗いて野菜類がある事を確かめる。今朝の献立は、ナルトのリクエストで随分前からラーメンと決まっていた。子供の頃からカップ麺ばかり食べて賞味期限切れの牛乳なんか飲んでいたような奴だから今更朝食にラーメンを摂ったところで身体に負担がかかるとも思えなかったが、せめてと思い麺を少なめにして野菜を山盛り乗せた煮込みラーメンにしてやろうと鍋に火をかける。葉物の野菜を洗おうと蛇口を捻ったところで指輪を着けたままだった事に気づき、暫く見つめてからそっと外すと居間のテーブルの上へ置いた。





 野菜を切る手間を考えても準備にさほど時間はかからず、昇った太陽の光に夕闇がすっかり西の山々の間に押しやられてしまう頃には、サスケは再び寝室に向かいナルトの肩を揺さぶった。

「おい、起きろ。ナルト」

 何度か呼んでも起きる気配が無く、それほどまでに疲労が溜まっているのかと一瞬どうすべきか思い悩む。しかし、定期的に肩を上下させる恋人の様子を眺めているうちにひとつの可能性に思い当たり、サスケは面白くなさそうに唇を引き結んだ。そのまま無言で手刀を跳ね放題の金髪に叩き落とすと、痛え!と声が上がり身体を起こしたナルトに恨めしげな眼差しを向けられる。

「何すんだってばよー…。おはようのちゅうとか、期待してたのに…」

「何下らねえ事言ってやがる。今日が何の日か解ってんのか」

「わかってってからちゅーくらいしてくれっかなって思ったの!サスケのケチ」

 然程力なんてこもっていなかったというのに、わざとらしく頭をさすりながらぶすくれた表情で唇を尖らせるナルトは子供そのものだ。サスケの目の前で未だベッドに入ったままのこの男が今日から里長になるなんて信じられない気持ちになって思わず溜め息が漏れる。

「いい年して何言ってんだてめえは…。いいから早く起きろ、麺がのびる」

「えっウソ!朝飯マジでラーメン作ってくれたの!?」

「……約束だっただろ」

 どんなに拗ねていても好物ひとつで機嫌を直す単純な恋人は実に扱い易い。ほんの数秒前までむくれていたナルトは、サスケの一言で瞳を輝かせ身を乗り出して来た。
 麺を手打ちする訳で無し、ラーメンなんて例え具を多めに用意しても到底手の込んだ料理とは言えない。そんなものでここまで喜ぶナルトに毒気を抜かれ、サスケはちいさく笑んだ。ベッドから降り慌ただしく寝間着を脱ぎ捨てる何気無い様子にすら日常の幸福を感じて、平和ボケした自分の思考回路に我ながら呆れてしまう。

「ありがと、サスケ。……あと、おはよ」

 洗面台に向かうのだろうナルトは柔らかく笑い、擦れ違いざまサスケの頬に唇を掠らせた。僅かな隙をつかれた事を悔しく思うと同時に頬の感触を愛おしく思ってしまう自分は、随分と恋人の存在と平和に毒されている。





 準備に忙しいナルトを先に送り出し、普段は恋人が行っている植物の水遣りと片付けを済ませるなりサスケもすぐに火影邸に向かった。警備の統率、今日一日忙しい里長の代理でこなさねばならない事務処理など、やる事を挙げればキリが無い。
 予定していた時刻よりもやや早く目的地へ着くと、参謀の位置に腰を落ち着けた同期の忍が既に忙しく動き回っていた。それだけでは無く、里中がどこかそわそわとした雰囲気に包まれて落ち着かないように感じられる。大名や他里の影達が訪れるこんな日だからこそ、多くの人に紛れて不届き者が入り込むかもしれないとの危惧を誰もが抱いているに違い無い。しかし、今日だからこそ侵入を許す訳にはいかないのだ。
 連絡事項やサスケ宛てに置かれた書類にざっと目を通し、急ぎのものだけ処理を済ませて警備体制の確認の為今度は屋外へ出る。通りがかった執務室の中からは耳を澄まさずともナルトや綱手の声が廊下にまで聞こえてきて、思わず口元が緩んだ。
 執務室前の扉、火影邸の門、里の内外に配置された警備の者の顔と名前をリストと照らし合わせ、何事も無い事を確認していく。勿論サスケ一人で全ての箇所を回りきる事など不可能に近い為、最も信頼のおける同期を予め数人選出して作業を分担していた。予定の時刻に集まって報告を終えれば、式典が始まるまでの間は短い休息時間を取る事になっている。
今頃恋人は何をしているのだろうか、とふと考えて、今更ながらに彼がもう自分にとって恋人で無い事に気付いた。ナルトが贈ってくれたシルバーリングは、取り敢えず手近にあった革紐に通してペンダントにして服の下に身に着けている。万が一戦闘になった時、傷つけたり失くしてしまう事の無いように。ナルトにもそうするように勧めると、ペンダントなんて着けるのはもう何年も前に綱手から貰ったものを失ってしまった時以来だと照れくさそうに笑っていた。
 全ての準備を終えたサスケは、何度か入った事のある定食屋に足を向ける。ナルトは式典の後すぐに会食に入るが、それを警備する忍達に昼食を摂る時間は無い。その為、まだ昼には少し早かったものの、式典が始まる前に各自食事は済ませておく事と通達してあった。
 目立たないカウンターの端に腰掛け、ごく平凡な和定食を注文する。調理人には申し訳無いが、今は何を食べてもその味を楽しめる心境では無かった。しかし、何でも無い振りを装って早々に運ばれて来た食事に箸をつける。ナルトが平気そうにしていたというのに、自分ばかり胸が詰まるなんて意地でも認めたくは無い。
 普段アクセサリーなど身に着けないせいか、緊張を解くと胸の辺りにあるリングの存在が気になってしまう。その度にナルトの事を、昨夜の事を思い出してしまう自分が恨めしい。いい年をして、いつからこんなに恋愛脳になってしまったんだと味噌汁の椀を傾けながらサスケは無意識のうちに眉間に皺を作った。ナルトとの関係など、もうすっかり落ち着いたと思っていたのに。
 求婚されたこと自体は、付き合いを重ねる中で今までに何度かあった。しかし、その度に何かと理由をつけて躱して来たのだ。ナルトの事は愛していたけれども、彼と恋人という関係を続けながら頭のどこかではいつも思っていた。ナルトは将来子を成すべきだと。また、里長となれば周りの者が彼を放っておかないであろう事も予測していた。当然の事だ。
 ナルトを想う気持ちに嘘偽りは無い。彼の前で隠し事など意味を成さない。サスケの胸の内側など全て、闘いが終わった時に彼によって暴かれてしまったのだから。あの時から、サスケは自分の気持ちを偽る事を辞めた。もう、そうする必要も無いし、意味も無いと考えたからだ。
 だからこそナルトの求婚を断る際に適当な理由を述べる訳にもいかず、そのうちな、だとか、寝言は寝て言え、だとかふざけた振りをして流してきた。しかし、昨夜のあのナルトからは、もう逃げられなかった。男同士だとか、ちゃんとした家庭を持てだとか、そんな正論を言う余裕すら無かったと言っていい。
 結局、サスケはいつもあの男の前に陥落してしまうのだ。全てを投げ打ってまで自分を救おうしたナルトに、今更どうあがいても敵う筈など無かった。
 焼き魚を箸でつつき交互に白米を口に運びながら蘇る昨夜の記憶を消そうとしても、恐ろしい程にくっきりと脳裏に焼きついたそれは決して消えてくれない。馬鹿な事をするなと言おうと開いたサスケの口からその言葉が紡がれる事は無く、また、観念して本音を言おうとした時ですら、からからに渇いた喉は上手く思いを言葉にしてくれなかった。サスケが思い悩む間、覚悟を決めて彼に応えようとするその瞬間まで、ナルトは何も言わず、ただサスケをじっと見つめて待っていた。あのウスラトンカチが、随分根気強くなったものだと考えて複雑な思いにかられるも、すぐに自分の思い違いに気がついた。ナルトは昔から随分根気強かったではないか。でなければ、いくら仲間と言えど、里抜けした男を何年も追い続けられる筈が無い。





 所定の時刻きっかりに始まった式典は滞り無く進行し、気が抜けてしまいそうな程平和に終わろうとしていた。元々、ナルトだけで無く綱手も堅苦しい事や無駄な挨拶が嫌いな質であるせいか、進行表に書かれた予定は随分あっさりとしたものだったせいもあるのだろう。
 火影邸の屋上に来賓席が設えられ、里の民が目を向け易いようにと挨拶や祝辞は全てそこから行われた。三代目の死後、綱手が市民に向けて挨拶した場所でもあるそこに立つ事に、ナルトはきっと特別な感慨を抱いているに違いない。サスケやシカマルは来賓席の更に後方に控え、何かあった時にすぐ対処出来るよう常に臨戦態勢を整えていた。姿は見えないが、暗部の手練達も近くに身を隠している筈だ。
 式典が終わりに近づくにつれ、サスケは警備とは別の意味でじわじわと増す緊張感に身を苛まれていた。最後に、新しい火影としてナルトが挨拶をする事になっているのだ。さり気無く隣に立つシカマルを見遣れば、彼もどこか強張った表情を浮かべている。挨拶をする立場のナルトも勿論緊張するだろうが、昔から意外性ナンバーワンなどと言われてきた彼の事、本番で何をやらかすか予想がつかない。だからこそ、本人よりも周りの人間の方がヤキモキしていると言って良かった。
 半ば命じるように挨拶文はこちらで用意すると申し出た上役連中にそんなものは必要無いと強気で突っぱね、ナルトは直筆で挨拶の原稿をしたためたと聞いている。流石にシカマルや上役が目を通して確認はしたらしいが、殆ど修正は入らなかったとは現在隣に立つ男の談だ。
 戦争が終わってからは周りが一目置くくらいには真剣に座学にも励んでいたようだから、サスケは敢えてこの件に関しては口を出さずにいたのだが、やけに自信に満ち溢れた顔で座っているナルトの横顔を眺めていると今更心配になってくる。しかし、あとほんの数分で全ての予定が終了してしまう今になってからそんな思いを抱くのは無駄だと自分に言い聞かせて気持ちを落ち着けた。今からこんな事では、今後身が持たない。もっと割り切らねば、否、ナルトを信用しなければと考え、いつの間にか強張っていたらしい肩から力を抜いた。思ったよりも随分気疲れしている自分に嫌でも気づかされ、情けなさに口端を歪める。
 その瞬間、ふとナルトと目が合った。僅かに瞠目するサスケに、ナルトは手こそ振ったりしないものの満面の笑みを向けて来る。その屈託の無い笑みが反射的に跳ね上がるサスケの心臓の脈動を速め、視線を合わせていられなくなって思わず目を逸らしてしまった。あれだけ式典の最中は集中していろと、だらしない顔はするなと口を酸っぱくして言い聞かせたというのに、まるで緊張感の無いナルトに呆れると同時に変に感心すらしてしまう自分が恨めしい。一度意識してしまうと、昨夜の衝撃から未だ立ち直りきれていない頭は無意識のうちに数時間前の記憶を引っ張り出して来てしまうのだ。
 今は普段の柔らかい雰囲気を纏うナルトが、鬼気迫るくらいの真剣さで紡いだ言葉。それがサスケへのプロポーズだったなんて、思い出すだけで顔から火が出そうになる。ナルトの言動では無く、それを聞いて胸を高鳴らせてしまった自分にだ。
 ナルトには敵わない。それを痛い程に思い知っていたサスケは、最早観念して頷くしか無かった。直後きつく抱き竦められて、言葉に出来無い想いに満たされた感覚は生涯忘れる事など出来無いだろう。熱くなる目頭をナルトの肩に必死に押し付けて、背に回した腕で恋人の衣服をきつく掴んだ感触を、一晩が明けた今でも鮮明に思い出す事が出来た。これが幸福という気持ちなのかと、そればかり考えていた。

「……サスケ」

 不意に耳に届いた微かな低い声に、すっかり昨晩の記憶に溺れているところを助け出される。動揺を隠したつもりで視線だけ動かせば、シカマルが小さく溜め息を吐いた。

「頼むから集中してくれ。いちいちナルトに見惚れてんじゃねえ」

「……っ、み、みほれ、」

「言い訳は聞かねえ。午後からも警備なんだからよ…、お前がそんなんじゃ困るんだよ」

 お見通しだとでも言うように断言されてしまえば黙る他無いのは、少なからず自覚があるからだ。シカマルの言う通り、火影に一番近い場所で警備についておきながら集中力が乱れては、他の忍に示しがつかない。





サスケの心配を余所に、ナルトは新しい里長としての挨拶を立派に遣り遂げた。彼をまだ完全に認めた訳では無いだろう上役達に文句ひとつつけさせないくらいの完璧さに驚きを隠しきれないのは何もサスケに限った話では無かったようで、多くの人間が感嘆と驚きが綯い交ぜになったような表情を浮かべている。唯一、ナルトが書いた原稿を読み込んで添削してやったのだろう隣の男だけが得意げで、サスケに負けず劣らずナルトに心酔しているのだろうこの男にだけは今後注意される事の無いようにしようと、サスケは気を引き締めた。

「……えっと、……それから、最後にみんなに報告したいことがあるってばよ」

 喝采が落ち着くのを待ってからひと呼吸置いたナルトが発した言葉に、群衆は期待に満ちた眼差しを向け、サスケやシカマルは予定外の行動に瞠目する。嫌な予感が頭を掠めたサスケが隣の男へと視線を巡らせると、取り敢えずは見守る姿勢でいるらしいシカマルがちいさく頷いて見せた。

「うずまきナルトは、うちはサスケを生涯の伴侶とすることを誓います!!」

 すう、と大袈裟なくらいの仕草で息を吸い込んだナルトが発した次の言葉に、その場が一瞬静寂に包まれる。あまりの衝撃に、ナルトが何を言っているのかすぐには理解出来無かったのはどうやらサスケだけでは無いらしかった。

「俺達、…ええと、俺とサスケは、結婚しました。今日から家族になったんだってばよ」

 新火影の続く言葉でやっと状況を理解し始めた人々の反応は実に様々だった。が、実を言うとサスケにはその時の周りの反応など、一ミリたりとも耳にも頭にも入ってこなかった。

「……あの野郎…っ」

 左手がバチバチと鳴ったのは、ほとんど条件反射と言っていい。そのままナルトの名を呼びながら駆け出して雷を纏わせた左手を振り上げたくなる衝動を寸でのところで抑え込む。あんなふざけた事を公衆の面前で言ってのけるなど言語道断だが、それでもあの金髪頭の間抜け面はこの里の新しい長で、そして何より、もう終わるとは言え今は式典の最中なのだ。この後会食も控えている。

「……おい」

 不意に手首を握り込まれ、はっとして視線を巡らせると、呆れたような、驚いたような顔つきで、それでいて苦笑を浮かべているシカマルに責めるような眼差しを向けられ、流石にバツが悪くなって千鳥を引っ込めた。

「……わかってるよな」

 何を、などと愚問を返すまでも無く、シカマルが言いたい事などとっくに頭では理解している。だからこそ左手に雷を纏わせたままナルトの方へ駆け出したりはしなかったのだし、そもそも、千鳥を出したのだって、十数メートル先に突っ立っているだらしない顔の男に対するただの牽制に過ぎない。本人もそれを解っているからこそ、あんな非常識な発言の後に後方を振り返って照れ笑いなど浮かべていられるのだろう。
 シカマルの制止もあって僅か数十秒で思い留まったサスケは、熱を持った左手首を右手で握り込む事で冷静さを取り戻そうと努めた。そんなサスケの様子を見てもう大丈夫だろうと判断したらしいシカマルは、未だ険しい表情で眉間に深い皺を刻んでいるサスケと、やけに清々しい顔をして用意された椅子に腰を下ろすナルトを見比べ、額を押さえて深い溜め息を吐く。
 シカマルの視線は専らナルトとサスケに向けられていたが、彼の頭痛の原因はそれだけでは無い。あと閉会の挨拶だけを残し全ての予定が完了したというのに、群衆や来賓席、上役達までもがざわつき始め、到底落ち着いて挨拶を出来る状況では無くなってしまったからだ。どうしたものかと頭を悩ませながら人々の様子を一瞥すれば、側近に向かって猛烈な勢いで何かまくしたてているらしい上役達とは対照的に、肩を震わせくつくつと笑いを堪えている風影と、周りに憚らず大声をあげて笑っている元火影の姿が嫌でも目について、忌々しさが湧き上がる気持ちに嘘は吐けなかった。その中で、蒼白な顔をしているシズネだけが、唯一シカマルの嘆きを理解してくれそうな人物で、綱手の側についている彼女が比較的、というよりもむしろかなり、常識的な人間である事に今更感謝せざるを得ない。
 進行役を任されていた上忍はあからさまに引き攣った顔で助けを求めるようにシカマルへと眼差しを注いでいた。相変わらず辺りは騒然としている。シカマルがどんな判断を下すのか興味深くてサスケは何も言わずただ事態を見守る事に決め込んだ。
 僅かな時間難しい表情で押し黙っていたシカマルは、数秒後わざとらしいくらいに大きく溜め息を吐くなり進行役の方へ向かって歩き始める。火影邸の前に集まった市民は未だ騒がしいままだったが、シカマルが動き出した事に気がついたらしい来賓や上役達は流石に落ち着きを取り戻し口を閉ざした。
 拡声器を手に取り、その必要も無いのに音を調整する振りをしてわざと耳障りな高音を出したシカマルは、聴衆の注意を引きつけるのに成功した事を確認してから僅かに口端を引き上げた。そしてそのまま、間髪入れずに極めて事務的で簡単な挨拶を述べ、式典を終わらせてしまったのだった。
 シカマルが短い挨拶を述べる間かろうじて静かだった市民は式典が終わったと気づかされるや否や再びざわついたが、拡声器を進行役の上忍に手渡したシカマルはすかさず撤収を言い放ち、抗議の声を上げる上役達には後でフォローさせます、と言ったきりそれで押し通してしまった。それでも気がおさまらないらしくシカマルに食ってかかろうとする者も居たが、次がありますので、と一礼し颯爽と火影邸の中へ引っ込んだシカマルの手腕は清々しい程に見事だったと言う他無い。それはもう、サスケが、先程浴びせ損ねた千鳥の分は今夜ベッドの中でお見舞いしてやろうかなどと一瞬でも考えた自分の幼稚さに羞恥を覚える程に。





 式典の後ごく短い休憩時間を挟んだだけで、スケジュール通りすぐに会食は始まった。全然休めていないとぶつぶつ言うナルトは、てめえの勝手な物言いで増えた仕事への文句を今ここで言ってもいいかとドスのきいた低い声で告げるシカマルの一言で押し黙り、大人しく席に着いている。
親交を深めるという名目で度々色んな場所で開かれるこの行事を、昔からナルトは苦手としていた。内々に就任が決まり綱手が色んな席へと同行させそれとなく挨拶周りを始めた頃、二、三度付き合っただけで良く愚痴をこぼしていたものだ。食事をしてきた筈なのに、帰宅するなりカップラーメンを啜りながら、あんな堅っ苦しい席じゃ飯の味なんてわかんねえ、いちいち箸の使い方に文句言われて食った気がしねえ、などと愚痴を零す様子を思い出し、サスケは密かに口元を緩める。
 しかし流石に回数をこなすうちにストレスの逃がし方を学んだらしく、食事をしながら我愛羅と話すナルトは比較的楽しそうな表情を浮かべていた。上役や大名からの嫌みも軽く躱していられるのは綱手のフォローあってこそだろうが、何でもかんでも真っ向から向かっていこうとする癖が良い意味で少し改善された事にサスケは安堵を覚える。お偉方の嫌みにいちいち付き合っていたら、この先ナルトだけで無く傍でフォローする者まで頭を悩ませる羽目になるのだ。まあ、その役目は主にシカマルであるのだろうけれど。
 しかし今日に限っては、サスケはただの火影の警備の忍として突っ立っていれば済むという訳にはいかなかった。ただでさえ、うちはサスケの容姿は世界に広く知られるところとなっている。それに加えて、先程のナルトの発言だ。大名に、上役に、その護衛の者に、奇異の眼差しを注がれ指をさされる。サスケの耳に届かないような小声で、また、わざと聞こえるような声で、揶揄や中傷の言葉を並べられた。

「…おい、サスケ」

 だからと言って集中力を乱す訳にもいかず、ただ無言で何も聞こえない振りをしながら警備にあたっていると、不意に背後から肩を叩かれる。声の主は振り返らずとも解りきっていた。

「お前は裏へ下がれ。暗部の配置で人員が足りない場所があるからそこを頼む」

「…別に、俺なら、」

「お前にそこに居られると迷惑なんだよ。頼むから、さっさとお偉いさん方の目のつかない所に行ってくれ」

 人員が足りないなどと解り易い嘘を吐かれた事に気分を害して反論しようと開いた口は、珍しく苛々しているらしいシカマルに言葉を被せられて閉じるしか無かった。こんな事で警備の一線から下がらねばならない事は悔しいが、シカマルの意見は正論極まり無い。

「…悪い。そうする」

 視線を落として呟けば、小さく折り畳まれた紙切れが押しつけられた。赴くべき場所が書いてあるのであろうそれを握り締めて、シカマルの横をすり抜ける。ナルトの視線を感じるも、敢えて気付かない振りをして会食が行われている部屋を後にした。
会食が行われている部屋を出て早足で廊下を歩き、角を曲がって階段を降りようとした瞬間、大きな声で名を呼ばれて振り返る。まさかとは思ったが、火影の羽織りを身に纏ったナルトが慌てて飛び出して来るのが視界に入りその行動に思わず瞠目した。そのまま大股の早足で近寄られ、面食らっているうちに抱き竦められて壁に押し付けられる。予想外の行動に驚くあまり、咄嗟に対応出来ずされるがままになっているのを良い事に、顎を捕えられ唇が重なった。想定外の行動に頭が回らず事態の認識が遅くなる。

「こらっ…なに、しやがる!離れろ!つうか戻れ!」

 数秒で我に返ったサスケがナルトの胸を両腕で押しやると、意外とあっさりナルトは身体を離した。随分勝手な行動をとっておきながら、間近で見る彼の表情は随分余裕が無さそうに見えてサスケの方が戸惑ってしまう。いくら自分たちが出て来た部屋からは死角になっているとは言ってもやり過ぎだ。それに追いかけて来られたら、サスケが出来るだけさり気無く部屋を後にした意味が全く無くなってしまう。

「だって、急に居なくなっちまうから。皆にはちょっと席立つって言ってきたから、少しなら大丈夫だってばよ。……なァ、それより、……さっきの、怒ってる?」

 サスケの両肩を掴んだまま、ナルトは切羽詰まった声で問いかけて来た。式典で立派に挨拶をこなし、堂々と自信に満ち溢れていた表情をしていた男と同じ人物だとは思えない程に、今火影の青い瞳は不安そうに揺れている。

「……怒るも何も…、…驚いただけだ。俺がどうこうより、むしろてめえの心配してろ。この能天気頭」

 言うに事欠いて、今更ご機嫌窺いなどどういうつもりなのか。怪訝そうに眉間に皺を刻んで吐き捨てるように呟くのが精一杯で、ナルトと目を合わせていられなくなったサスケは視線を床へ落とした。ナルトが焦れているのは痛い程に伝わって来たが、今は彼が求める態度や言葉をくれてやれるような状況では無い。

「俺の心配って…どういう事だってばよ」

「……お前の評価が下がるっつってんだ」

「…………それがどういう意味だって聞いてんだよ!」

「解るだろ、男と結婚宣言なんてしてなんの得があるってんだ!しかも俺みたいな…」

「もっかい言ってみろ。マジで怒るからな」

 話の通じないナルトに苛立ちが募って声を荒げれば、より大声で返されてサスケは一瞬怯んだ。滅多に見せない本気の怒りを湛えた青い瞳に射抜くように見つめられ、反論の続きは音になる事無く消え失せてしまう。肩を掴むナルトの手にどんどん力がこもっていくのが解り、窮屈な事この上無かった。彼は無意識なのだろうが、骨ばった肩に食い込む爪が皮膚を刺激して微かな痛みがサスケを襲う。肩が痛いだとか、離せだとか言えば、ナルトは会食の席に戻るのだろうか。暴力に訴えてでも席に戻らせるべきか、それとも安心させるような言葉をくれてやった方が話が早いのか、判断しかねて俯いていると小さく溜め息を吐く気配が伝わって来た。

「……あのさ、サスケ、」

 先刻よりもだいぶ落ち着いた声に視線を上げれば、ナルトの瞳が困ったように細められている。気がつけば肩を掴まれた両手にこもる力もなくなっていて、居心地の悪さに身動ぎすればナルトはすぐに手を離した。やっと戻る気になったのか、安堵して身を翻そうとした矢先、今度は右の二の腕を掴まれ左の頬に手を宛がわれる。

「……俺、……」

「…………いい加減にしろ、お前ら」

 注がれる真剣な眼差しに気圧されて文句を言えないでいるサスケの代わりにナルトを諭した声の主は、いつの間にか腕組みをしてすぐ側に立っていた。

「火影様、お戻りください。立場をお忘れですか」

 シカマル、そう呼ぼうとしたナルトの声を遮って告げる参謀の男の声には、明らかに苛立ちと怒りが滲んでいる。サスケも早く行け、そう付け足すシカマルの顔に表情は無い。そんな様子を見せられれば、流石のサスケもナルトが原因だとは言い出せず、名残惜しそうな様子を見せる新しい里長の胸を心を鬼にして引き剥がした。

「悪い。後は任せる」

 無言で立ち去るのも気が引けて、一言呟いてから二人の顔は見ずに階段を駆け降りる。不躾に向けられるナルトの眼差しが気にならないといえば嘘になるが、振り返るという選択肢は無かった。





 火影邸を出てからシカマルに渡された紙切れを開いてみると、すぐ近くの建物の一室が記されていた。立地的に、窓から件の部屋が良く見えるのだろう。よくよく場所と伝達事項を確認した後、チャクラを練って紙片を燃やす。万が一にでも後をつけられないよう真逆の方向へ跳躍し、一度姿を隠してから目的の場所へ向かった。今のところ、辺りの様子に変わりは無い事に安堵する。
指定された場所へは数分も経たずに到着する事が出来た。サスケのスピードをもってすれば直線距離ならば数十秒といったところだったろう。しかし、用心の為に遠回りして来たのだ。警備箇所がすぐに解るようでは、容易く警備体制も崩されかねない。
 火影邸のすぐ側に建っている高さのある建物へ足を踏み入れると、指定されていた部屋へ入り窓際に近づいた。外から自分の姿が見えないよう注意して立ち位置を決め、斜めから窓の向こうを見遣る。丁度見慣れた金髪頭が視界に入って、思わず心臓が僅かに跳ねた。
どうかしている。いくら昨日の今日だからと言っても、姿を見ただけで胸が高鳴るなど忍として恥ずべき失態だ。サスケは気持ちを落ち着けるようにちいさく深呼吸して僅かな間目を閉じる。しかし、先程あんな風に抱き竦められたせいか、瞼を下ろしたその瞬間にすら朝の記憶が蘇って動揺を隠しきれなかった。
 朝食を済ませた後送り出す際に、ナルトが感慨深げに呟いた言葉が頭の中に反芻される。二つの大きな夢が同時に叶うなんて、本当に夢みたいだと。

 今日はさ、すっげー記念日だな!

 一旦は玄関のドアノブに手をかけたナルトにが振り返ってそう告げた時にはまだサスケは冷静で、さっさと行けとまるで動物を追い払うような仕草で応じたものだ。けれど、次の瞬間きつく抱き締められて、声が出せなくなった。

 毎年、一緒に祝おうぜ。これから、ずっと。

 優しい声が何故か胸に痛かった。ナルトを、この男を、ずっと自分のものにしていいのか。罪悪感に襲われ、幸福な瞬間が怖くなる。この先、二人とも批判される未来は容易く想像出来た。当たり前の事だ。うちはは自分の代で終わりにすると決めたサスケと違い、ナルトの遺伝子は後世に残すべきものだと誰もが考えるだろう。しかし、ナルトは告げるのだ。飽きもせず、何度も、何度も。

 サスケ、大好き。

 何も答えられずにいるサスケをどう思ったのか、続けていってきますと言い残したナルトは、サスケの頬に唇を押し当ててからすぐに出掛けてしまった。
 あの時と同じようにひとり静かな空間に佇むサスケは、誰に見られた訳でも無いにも関わらず羞恥に顔を赤らめる。同時にそんな自分を恥じて唇に歯を立て、任務に集中するよう心がけた。
 これからは、里長となったナルトを護っていかねばならないのに、上に立つ自分がこんな事では示しがつかない。しかし、ナルトと共に過ごす時間が増え、それを大切に思えば思う程、ナルトという存在は勿論、自分の命すら失うのが怖くなってしまいそうで怖かった。それが一瞬の躊躇いに繋がれば、大事になりかねないというのに。
 すっかり弱さと甘さを抱え込んだ自分の心が憎らしく、サスケは溜め息を吐いて壁に寄り掛かった。身動ぎをした事で首にかけているペンダントが揺れ、その存在を主張するリングの存在に胸が甘く締め付けられる。

 安物だし、サスケはこういうのあんまり好きじゃねえと思ったんだけどさ。でも、結婚指輪っつうの?ほら、給料三ヶ月分とか言うじゃねえの。俺、ああいうの憧れててさ。

 照れくさそうに後頭部を掻きながら言葉を紡ぐナルトは、見惚れてしまいそうなくらいに幸せそうな表情を浮かべていた。あの時、サスケは思ったのだ。彼にこんな顔をさせる事が出来るのがもし自分だけだとするならば、うずまきナルトという男を、里の英雄を、自分だけのものにしても良いのではないかと。
 服の上から形を確かめるように胸元を撫でれば、指先がリングに引っ掛かる。その形を確かめるように指でなぞり、高ぶった気分を落ちつけようとサスケはちいさく息を吐いた。
 考え方を変えればいい。ナルトが彼の力で掴んだこの日を、これから毎年彼と祝っていく、その為にサスケは強くあり続けるべきで、ミスする事は許されない。そうして、この先なんども今日という日を無事に迎えるのだ。一年後も、五年後も、十年後も、その先も。そうしたら、何十年後には、今日のこの日を、そして昨晩の事を、遠く懐かしむ日もあるのだろうか。
 そんな日が訪れる頃には、今綺麗に輝いているこのシルバーリングも、霞んで鈍く光るようになっているのかもしれない。しかし、それもまた美しい姿なのではないかとサスケは思う。若い時の輝きが鈍っても、ナルトと寄り添って記念日を祝っていけたらいい。そんな未来がもしこの先待っているのだとしたら、きっとナルトの思い描く理想は現実になっているのだろう。そうすれば、またひとつ彼の夢が叶う。その為に、サスケはナルトを護り続けるのだ。里長として、それから、もう二度と得る事は出来無いと思っていた、大切な家族として。
 最早、認めるしか無かった。サスケは、どうしようもなくナルトを愛している。でなければ、装飾品になど全く興味の無い自分が、胸元にかかるリングにこんなにも胸を掻き乱される筈が無いのだ。革紐を引っ張って取り出すと、暗闇に微かな光が揺れる。束縛と愛の証であるそれを眺めていると胸が幸福に甘く満たされた。この先どうなっても、今日という日を迎えた事を忘れる事は無いだろう。胸に溢れる祝福の気持ちを抱いて、心の中だけでナルトと自分の両方に向けて言葉を紡ぐ。声に出せば、目頭が熱くなりそうだった。



 おめでとう。