※リーマン×大学生。21歳。五月、GW。
フォロワーさんの「遊園地デートでジェットコースターが落下する直前にナルトにちゅーされるサスケ」という呟きが元になって出来た話です。
ナルトとサスケが遊園地でデートする一日を追う、本当にただそれだけの話です。
サスケが若干乙女なのでご注意ください。
「ギャー!イヤー!やめろって!スミマセン俺が悪かったです!本っ当にゴメンナサイ!!だからやめてえええええ」
ホテルの一室にナルトの悲鳴が響く。建物の佇まいや部屋の内装から安い宿泊施設では無さそうだったが、それでも防音仕様という訳では無いだろう。サスケは小馬鹿にしたようにフンと小さく鼻を鳴らすと、ベッドに乗り上がりナルトが被っていた布団を引き剥がした。
「いいや止めねえ。耳を塞ぐな、聞け」
「やだやだやだ、電車乗れなくなるだろォオオオふざけんなってばよぉ!」
懇願には耳も貸さず言い放ち、両耳を掌で覆い俯せになっているナルトの身体を強引に反転させる。仰向けでベッドに横たわる恋人に馬乗りになったサスケは、ナルトの両手首を掴み荒っぽく耳から外させると、そのまま彼の両腕をベッドに縫い付けて拘束した。
「途中までしか知らねえ方が怖いだろうが。安心しろ、ちゃんと助かる方法も教えてやる」
「もう十分怖えっての!勘弁してくれって、これ以上聞きたくねえ!無理!!」
暗めに設定されているホテルの部屋の照明の下でもナルトの青い瞳が潤んでいるのがはっきりと解り、サスケは湧き上がる愉悦に唇の端を引き上げる。全く、昔からこの手の話に弱い事は知っていたが、成人した今でもここまで怖がるとは良い意味で予想外だった。
「いいから聞けって言ってんだろ。……いいか、そうなったらな、やるべき事がある。それから、絶対にやっちゃいけねえ事もあるから、ちゃんと覚えておけよ」
「ギャーーーッ嫌だァアアもう聞きたくねえって言ってるじゃねえのおおお許してください〜〜〜っ!!」
容赦無く言葉を続ければ、叫ぶように許しを請うナルトの声が室内に響き渡る。何を思ったか、耳を塞げない代わりとでもいうようにきつく目を瞑ったナルトはじたばたと足を動かしたものの、サスケが体重をかけているのは彼の足の付け根部分だった為抑え込むのは訳も無かった。
「しっかり聞けよ、ナルト。やってはいけないのは、電車から降りる事だ。降りた奴がどうなったか知りたいか?降りた先にはな……」
「やだやだやだやだってばァアアア知りたくないですーーーーっ!!」
わざとらしくおどろおどろしい声を作って耳元で囁けば、ナルトはなりふり構わずに絶叫する。その瞬間、ベッド近くの壁が隣室側からドンドンと叩かれ、流石に二人とも口を閉ざした。ベッドサイドの棚に置いてあるデジタル時計を見遣れば、時刻は午後九時半をまわったところ。人によっては就寝する時間だろうし、それでなくとも隣室まで聞こえるような大声を出すのは非常識だ。
僅かな間でどうすべきか判断したサスケは、その体勢のままナルトの両手首を彼の頭上で纏めて右手で強く抑え込み、空いた左手はうるさい口におしつける。それでも言葉にならない声を発し続けるナルトを鋭い眼光で睨みつけると、鼻先が触れそうなくらいに顔を近づけ低い声で凄んで見せた。
「うるせえんだよ、周りの迷惑考えろ。意地でも最後まで聞かせてやるから、いい加減腹括れ」
「…………で、助かったの、その人……」
ベッドの端で膝を抱えるように縮こまった体育座りの体勢をとっていたナルトは、サスケが言葉を区切るのを待ってか細い声で訊ねた。もう少しくらい怖がらせてやってもいいかと嗜虐心を刺激されたものの、サスケを見つめる青い瞳が怯えきっている事に気づくと、もう十分かと考え直して小さく頷くだけにする。
「どうやら、そいつは助かったらしいな」
「そりゃ良かったってばよ……」
心底安堵したように深く息を吐くナルトの様子が可笑しくて、つい緩みそうになる口元に掌を押し当てた。笑いを堪えながら腰掛けていたベッドから立ち上がったサスケは、緩慢な仕草で伸びをしてからナルトの方を振り返る。
「じゃあ、俺は風呂に入って来る。今日は一日中動き回って汗もかいたしな」
「えっ!?」
案の定上がった声に気づかない振りをして一歩踏み出そうとすると、とてつもない勢いでシャツの裾を引っ張られ、図らずも動きが止まった。
「えっちょっ、ちょっと待ってマジ!?そりゃねえってばよ置いてかないで一人にしないでくれってばよおおおお」
振り返れば、一瞬のうちにベッドの端から移動してきたナルトに手首をがっちりと掴まれ縋りつかれている。振りほどこうと手に力をこめてみたところでびくともせず、身動き出来無い状況に困り果てたサスケは、心底迷惑だというふうにうんざりした表情をつくって溜め息を吐いてみせた。
「今日一日付き合わされて、こっちはてめえのせいでクタクタなんだよ。都合も訊かずにいきなり朝早くに叩き起こされてから今の今まで外にいたんだぞ、風呂くらいゆっくり入らせろ」
言い聞かせるように声音だけは穏やかに呟けば、十分過ぎる程に思い当たる節があるらしい恋人は、渋々ではあったもののゆっくりと指先に込めていた力を弱めた。同時に下方へ向かう眼差しはまるで捨てられた子犬のそれで、流石に良心が痛んだ。彼が怖い話に齢と解った上で無理矢理都市伝説を話して聞かせた罪悪感も相俟って、このままナルトをひとり部屋に置き去りにする事にほんの少し躊躇ったものの、結局のところ心を鬼にして浴室へ向かう事にする。いつだってサスケは奔放な恋人に翻弄されているのだ。少しくらい仕返ししたって、罰は当たらないだろう。
洗面所を兼ねた脱衣スペースで服を脱ぎ、浴室へ続く扉を開く間もナルトは追って来なかった。余程先刻の言葉が効いたのだろうかと思うと、彼が酷く悪い事をしたという訳では無いだけに罪悪感が湧き上がる。それでも、一日中歩き回って疲れたのは本当の事だ。
風呂から上がったら多少は優しくしてやっても良いかとぼんやり考えながら頭から熱めの湯を被れば、感じる気持ち良さに無意識のうちに吐息が漏れた。
それから遡る事約十五時間。
ゴールデンウイークも半ばの五月三日、朝六時半。大学に通うのも三年目ともなれば、色々とやらねばならない事も増えるし、頻繁に帰りたくなるくらい実家が恋しい訳でも無い。アルバイトも入っていた為、連休中に帰省するつもりの無かったサスケは、前の晩に通常通り朝七時に目覚ましのアラームをセットして眠っていた。
当たり前だが、ゴールデンウイーク中は大学は休みだ。帰省をしないサスケの予定はアルバイトと資格試験の為の勉強くらいしか無い。しきりに出かけたがるナルトとは連休中に一泊くらいでどこかに行けたらと先週末に電話で話してはいたが、具体的な計画は立てていなかった。ナルトの方の予定がはっきりせず、忙しいのだろうと踏んだサスケはあまり期待をせずに連絡も控えていたのだ。連休はどこも混んでいるだろうし、直前になってから予約を取るのは難しいだろう。それならば、映画でも観てどちらかのアパートに一泊する程度でも構わない。元々人ごみの苦手なサスケは特別行きたい場所がある訳でも無く、恋人と一緒に過ごせさえすればどこで何をしても構わなかった。
連休に入り、そして五月に入っても具体的に出掛ける話題が出なかった時点で、元々会う事すらも期待していなかったのだ。意外とマメなところのあるナルトはしょっちゅう電話をかけてきたし、用も無いのにメールを送りつけてきたりする。イベントがあれば何とか都合をつけて週末に会いに来てくれ、平日の夜でも「急に会いたくなった」などと理由をつけて新幹線で飛んでくるくらい、ナルトはフットワークが軽い。そんな恋人から注がれる思いや優しさに、サスケは時に感激したり翻弄されたりしていた。
新生活が始まる時には泣きそうな顔をしていた癖に、毎週のように顔を店に来るナルトと接していると、時々遠距離という事を忘れそうになる。だからこそ、忙しい時は彼に無理をさせてまで会わなくても良いと考えていた。
にも関わらず、である。セットしていたアラームより三十分も早く鳴り響いた着信音で無理に意識を引き上げられたサスケは、枕元を探り霞む視界で眺めた画面に表示されている名前が恋人である事を確認すると、ベッドに横になったままの体勢で通話ボタンを押した。
「……なんだ」
「なんだとはなんだってばよ、おはよサスケ。確かさ、今日と明日はバイト入ってねえって言ってたよな」
「……そうだが?」
早朝だというのにやけにテンションの高い恋人の声にだんだんと意識がはっきりしていく感覚に、寝返りを打ちながらサスケはゆっくりと重い瞼を持ちあげる。ナルトと違い、サスケはどちらかというと朝にあまり強くない。寝ぼけた声である自覚はあったものの、如何せん寝起きではどうする事も出来なかった。
「あと三十分くらいでそっち着くからさ、出掛ける準備しといてくれってばよ!」
「…………ハァ!?」
予定の有無を訊ねられた時点で嫌な予感はしていた、のだけれども、流石にこれほど直球で来るとは考えていなかった為、思わず大声を上げてしまう。そのままの声のトーンで文句を言いそうになって、慌てて空いていた方の掌を自分の口に押し当てた。高級マンションでもあるまいし、早朝に大声を出したと文句でも言いに来られたら堪ったものでは無い。
「ちょっ……、オイ、ナルト!」
大声を出さないように注意した上で、どういう事だと問い詰めようと再び口を開いた時には、既に電話は切れていた。通話終了を示すツー、ツーという音を聞きながら舌打ちしたサスケは、着信履歴からすぐに電話を掛け直す。しかし、どこに居るのだろうか、電波の状況が悪いらしく繋がらなかった。
「……クソ、なんだってんだ」
つい先程まで話していたのにと腹立たしさを覚えながらも身体を起こし、携帯は八つ当たりするかのようにベッドに投げつける。突拍子も無い電話のせいで目は覚めたものの、当たり前だがあまり良い目覚めとは言えなかった。
それでも、学生のサスケと違って忙しくしているナルトがわざわざ遠方から来るのだと思うと、準備をしない訳にはいかない。もしかしたら、たった一日二日しか無い休みを使って会いに来るつもりなのかもしれないからだ。社会人でないサスケには良く解らないが、休日の予定が直前まではっきりしないという事もあるのだろう。
それにしても、先程ナルトはあと三十分程で着くと言わなかっただろうか。何のつもりか知らないが、いくら何でも急すぎる。ナルトの住んでいるアパートから二時間程度はかかるのだから、もっと早く連絡する事も出来た筈だ。と、そこまで考えて、サスケははたとひとつの可能性に思い当たった。
あのバカ、もしかして新幹線使って来てんじゃねえだろうな…!?
しかしそれならば、あと三十分などという中途半端な時間も、つい先刻まで話していたにも関わらず電波が悪い状況も納得がいく。もしそうだとすると、余計に時間を無駄にさせる訳にはいかなくなってしまう。
いいや、何故自分がこんな風に彼に合わせなければならないのだ。いくら立場の違いがあっても、否むしろ立場の違いがあればこそ互いに配慮するべきで、ナルトだけが社会人だからという理由で勝手な振る舞いが許される理由にはならない。出掛ける準備をするどころか、押しかけて来た恋人に説教をしたって何の罰も当たらないのではないか。
「ったく、あの野郎……っ!」
しかし、そんな風に考えたところで、本当にそんな仕打ちが出来る筈も無い事など、サスケが一番良く解っている。期待に満ちた青い瞳の輝きは、何よりもサスケが愛しいと感じるものなのだ。こんな事、本人には絶対に言ってやらないけれど。
気合いを入れて飛び起きて、寝間着代わりの普段着を脱ぎ捨てると大股で洗面所へ向かう。悠長に朝食を食べている時間は無さそうだが、男の準備など三十分もあれば大概事足りる。曇りひとつない鏡の前に立ったサスケは、勢い良く蛇口を捻ると冷たい水を掬って頬に押しつけた。心地良い冷たさに、怒りと嬉しさで血が上った頭が冷えていく。顔を上げれば、鏡に映った自分が満更でも無さそうな顔をしている事が、心底悔しかった。
それから約三十分後、ほぼ宣言通りの時刻に玄関のインターホンが鳴った。普段通り憎まれ口をぶつけてやる気満々で扉を開けると、飛び込むように入って来たナルトに物凄い勢いで抱き締められて言葉を失う。彼の思い通りに動いてやるのだから嫌みのひとつくらい許されるだろうと考えていたのに、驚きのあまり文句を言う事すら忘れてしまった。
「サスケ、会いたかったってばよぉ……!急で悪ィんだけど、休みもらえたからさ。この前話してた遊園地行こ!遊園地!」
「……ハァ!?本気かお前……。大体ホテルはどうすんだ、あそこじゃ日帰りは無理だぞ」
「うん、だからさ、もしかしたら行けるかもって思った時に先にホテルだけ予約入れといたんだってばよ。もしダメだったらキャンセル料払わなきゃいけなかったけど、何とか都合ついて良かった〜!」
手加減無しにぎゅうぎゅうときつく抱き締めて来る恋人に面食らい、結果的に彼の好きにさせてやりながら、サスケは本日二回目の頓狂な声を上げた。
四月最後の週末にナルトがサスケのアパートに泊まりに来た際、彼が買って来た雑誌に掲載されていたゴールデンウイークのレジャースポットの特集をやけに熱心に読みこんでいた事は、良く覚えている。小テストに備えて勉強しているサスケにくっつくように座り、教科書とノートを広げて復習しているサスケの前に雑誌を差し出して、ここ楽しそうだよなあ、と何度も繰り返していた。はじめのうちは生返事だったサスケだが、あまりにしつこかった為、お前の休みがとれたらな、と深く考えずに軽はずみな発言をしてしまったのだ。だからといってまさかそれがこんなに早く実現するなどとは考えていなかったし、そもそも本気にしてすらいなかったと言っていい。
「予約って、俺はそんな話一言も……。そもそもお前、俺がバイト入ってたらどうするつもりだったんだよ」
「だから、そん時確認しただろ。そしたらサスケ、三日と四日は何の予定も無いって言ってたから」
「…………」
言われてみれば、その時予定を訊かれたような気もする。サスケの記憶からはすっかり抜け落ちていたものの、質問に答えないととにかくやかましかった為、スケジュールを確認して良く考えもせずに返事をしたのだろう。
「な、だから早く行こうぜ!今から出れば開園前には並べるからさ」
密着させていた身体を離したナルトが、サスケの両手を握り込んで期待に満ちた眼差しを向けて来る。連休中の遊園地なんて混むから面倒だとか、まだ朝食も摂っていないとか、言いたい事は山程あったものの、最終的にサスケはナルトの言葉に首を縦に振っただけだった。なんだかんだと理由をつけたところで、結局のところサスケはナルトに弱い。
戸締まりを済ませ、玄関での押し問答から五分後には二人揃ってアパートを後にした。余程慌てて来たのか、ナルトも起きてから何も食べていないらしく、駅へ向かう途中でコンビニに寄って軽めの朝食と飲み物を調達する。時間が無いと言う割りに、どれにしようか散々迷って結局おにぎりと惣菜パンをひとつずつ抱えてレジへ向かったナルトが会計を済ませる間に、サスケはぼんやりとレジ横の揚げ物類を眺めて時間を潰した。
今日は一日のんびり勉強するつもりだったというのに、何故こんな事になっているのだろう。無意味な思考に囚われていた為か会計が済んだ事にすぐには気づかず、サスケ、と声を掛けられて出口へ足を向けた。
「何か他に食いたいもんあった?」
ショーケースを眺めていた事が気になったのか、ナルトが財布をポケットに突っ込みながら訊ねてくる。別に、と気の無い返事で首を横に振ると、何故だか笑いを漏らす恋人に腹が立って、斜め後ろから軽く蹴りを入れてやった。
想像よりも混んでいた駅の切符売り場で時間をくってしまい、特急電車に乗り込んだのは発車二分前。改札を抜けてから乗車するまで走る羽目になってしまい、お前がコンビニで迷ってるからだと文句を言っても、一応謝罪の言葉を紡ぎながらもナルトは嬉しそうに笑うばかりで悔しさが募った。窓際の席を譲ったくらいで許されると思っているならば甘い。しかし、こんな奴のこんなところが愛しいと思うなんて、我ながらどうかしている。
座席に腰を下ろし、上がった呼吸が落ち着く頃には今度は空腹に襲われ、ナルトを促して朝食を摂る事にする。コンビニで迷わず手に取ったおかかおにぎりの封を開けようとビニール袋の中を探ると、薄焼き卵でチキンライスを包んだオムライスおにぎりなるものが視界に入り手が止まった。
「またこんな邪道なもん買いやがって」
沢山の種類があるにも関わらず、散々悩んで選んだおにぎりがこれなのかと憎まれ口を叩きながらもカラフルなおにぎりを隣に座る恋人に手渡す。いいだろ好きなんだから、と上機嫌で答えるナルトの視線は既に車窓の外に広がる景色に向けられていて、もうすっかり旅行気分になっているらしかった。
ナルトがコンビニに入っても、彼がおにぎりらしい具のものを買う事などほぼ無いに等しい。チャーシュー入りでラーメン風味のものだったり、煮玉子入りだったり、厚切りのスパムが巻いてあるものだったりと、とにかく変わり種というか、子供っぽい味が好きなのだ。寒い時期に肉まん買いに行こうと誘われて一緒にコンビニへ行っても、店員に注文する時にはチョコまん下さいだとか焼き芋まん下さいとか言っているような味覚の持ち主なのである。食の好みという点においては、到底サスケとは噛み合わない。
温めて貰ったオムライスおにぎりを頬張るナルトの横で先にお茶のペットボトルの蓋を開けたサスケは、なんだかんだ言っても結局彼の思う通りの展開になってしまう事に僅かな腹立たしさを覚えつつ、恋人につられるように窓の外へ視線を向けた。特に珍しくも無い景色だが、普段電車に乗る機会の無いサスケにとってはそれなりに新鮮に感じられる。
子供でもあるまいし、休日に特急電車でおにぎりを食べているだけでどこか弾んだ心持ちになるなんて、成人した男にしては安上がりだ。その理由が隣に座っている恋人の存在だという事は、悔しいけれど認めざるを得ない。
不意に電車がトンネルに入り、オムライスおにぎりを食べ終えたナルトがオレンジ色になった指先を舐め、今度は焼きそばパンの封を開けようとしている様子が窓に映し出された。パンの袋を開封したところで不意に顔を上げたナルトの眼差しがサスケに向けられ、窓越しに視線がかち合う。何となく気恥ずかしくなって、サスケは少し残っていたおかかおにぎりを口に押し込むと、お茶を飲む振りをして目を逸らした。
連休中だけあって、開園よりもかなり早く着いたにも関わらず、入口のゲート前は人でごった返していた。それだけで半ばうんざりした表情を浮かべるサスケの腕を引っ張ってナルトが列に並ぶ。空は晴れていたものの、さほど陽射しも強く無く気温も過ごし易い温度だったことが幸いしてか、列に並んで開園を待つのはそれほど苦痛では無かった。
おそらく人が多かった為だろうが、予定されていた時刻よりも十五分程開園時間が早まると、殊の外スムーズに入場する事が出来た。どんなアトラクションがあるのだろうかと、入口で手にした中の案内図をサスケが眺めていると、既に十分下調べは済ませてあるらしいナルトが手を取ってどこかへ向かって歩き始める。
「お、おい、外だぞ」
「大丈夫、誰も見てねえって。皆自分達のことでいっぱいいっぱいだからさ!」
成人した男同士で普通そんな事はしないだろうという理由で、普段サスケは屋外での必要以上の接触をナルトに禁じている。別に嫌だという訳では無いが、人から奇異な視線を向けられずに済むならその方が良いと考えているだけだ。だからこそ人の多い場所での恋人の行為を諫める声を上げたものの、ナルトは普段とは違うのだからと言いたげに悪戯っぽく笑んで見せる。次いで、それよりはぐれたら大変だろ、とベタな台詞を吐くと再び前を向いてサスケの手を引く力を強めた。
確かに、人は大勢いても誰も他人の事など気にしていないように見える。子連れの親は子供を迷子にさせないよう気を配らねばならないし、カップルであればお互いに夢中になっている事だろう。友達同士らしいグループも、どのアトラクションに乗るか、昼食はどうするかという話し合いで盛り上がり、他を気にする余裕など無いようだった。
まるで遠回しに自意識過剰になっている事を指摘されたようで少々面白く無かったものの、ここまできて機嫌を損ねるのも野暮というもの。サスケは折り畳んだ案内図を適当にしまうと、ナルトが指差す先の光景に視線を向けた。遊園地なんて、特段思い入れがある訳では無いし、乗りたいアトラクションなどの拘りも無い。今日一日コイツに付き合ってやっても良いかと腹を括ると、普段は毛嫌いする人ごみもあまり気にならなくなった。
結局その日は、陽が落ちて閉園時刻が近くなるまでたっぷり一日中遊びまわった。ジェットコースターに始まり、名前まで覚えていないものの、垂直に上まで上がって急降下するものや、揺れが激しいもの、3D映像を駆使した迫力が売りのアトラクションなど種類は実に様々で、実のところサスケも結構楽しんだと言っていい。
しかし、二度目のジェットコースターだけは別だった。最後尾の席だから許されるとでも思ったのか、席に座ったナルトは怖いだとかドキドキするだとか何かと理由をつけてサスケに縋りついたり手を握ってきたりと、ジェットコースターが動き出す前から散々はしゃいで騒ぎ立て、その辺の学生よりも余程騒がしかった。ジェットコースターならさっきも乗っただろ、と呆れて呟けば、今度乗る方が大規模で高低差が激しいと説明される。
同じようなアトラクションを作っても面白みが無いだろうから、おそらくナルトの言い分は本当なのだろう。それでも、遊園地を訪れた経験がそれ程無いサスケは大袈裟にビビりやがってと内心馬鹿にしていたのだ。
しかし、ジェットコースターが動き出し傾斜のきついコースをゆっくりと昇り始めると、少々考えが変わった。いつまでも昇り続けているかのように錯覚してしまうくらい長い間そのまま上へ昇っていく。一度目に乗ったものとは比べ物にならないその時間と距離に密かに心の準備をしていたところで、不意に視線を感じて隣に視線を巡らせれば、青い瞳を悪戯っぽく輝かせたナルトと目が合った。
「さすがに、今度はサスケもちょっとビビってんじゃねえ?顔、すげー強張ってるし」
「……んな訳ねえだろ、ビビリのてめえじゃあるまいし……、……っ!!」
確かに引き攣った表情を浮かべていたかもしれないが、嬉々としてからかわれると面白くない。声が上擦ってしまわないよう注意して憎まれ口を叩き、落下に備えて視線を前方に戻した瞬間、頬に触れた柔らかな感触に瞠目した。キスされたのだと理解するまでに数秒を要し、更にそれを咎める為に口を開こうとした時にはもう、がくんと大きくジェットコースターが揺れて落下が始まっていた。
一斉に声を上げる他の客とは逆に、何しやがる、と喉まで出掛かった言葉を呑み込むのと同時にサスケは口を閉ざして目を瞑る。昇った距離を一気に駆け降りた分凄まじい速度と圧力がかかって、成る程最初に乗ったジェットコースターとは比べ物にならない迫力だった。
最初の激しい落下が終わった後も息もつかせぬ位に高低差のあるコースを駆け抜け、途中三回転程させられた為か、降りる頃には流石に多少足元がふらついてしまう。ナルトはと言えば、乗っている最中はサスケの掌をきつく握り締めて散々ギャーギャー騒いでいた癖に、降りて見れば晴れやかな顔で楽しそうに笑っていた。それだけでも面白くないというのに、大丈夫か、などと気遣われれば余計にプライドが傷つく。だからという訳では無いが、次のアトラクションについての希望を訊かれたサスケは、迷い無く案内図の一点を指先で指し示した。
「お、お化け屋敷…!?……サスケ、そういうの好きだったっけ……?」
「知らなかったのか?最初からここに一番興味があった。今までお前の希望で絶叫系ばかり乗ったんだから、休憩がてら丁度良いだろ」
明らかに引き攣った顔をしている恋人の様子には気づかない振りを決め込み、気の進まなそうなナルトの手首を掴むとサスケは容赦なく引っ張ってお化け屋敷の建物の前まで歩を進める。
「怖いのかよ、ドベ」
「ん、んな訳ねーだろ!つくりもんだし!行こうぜサスケ」
いつまでも二の足を踏んでいるナルトを揶揄たっぷりに煽ってやれば、サスケ程では無いにしろ、ことサスケに関しては負けず嫌いの面があるナルトは必要以上に声を張り上げて大股で中へ入って行った。その後ろから、笑いを堪えてついていく。
案の定、中に入ってしまうと薄暗い空間に漂うおどろおどろしい雰囲気にすっかり戦意を削がれたらしいナルトが、サスケの腕にしがみついてきた。普段なら離れろと冷たくあしらうところだが、お化け屋敷の中は薄暗い。それに、性別の組み合わせに関係無く騒いで同行者に抱き着くのが常といったところだろう。そう考えれば、ナルトの行為は許容範囲内である。
「……怖くないんじゃなかったのかよ」
「そ、そんなの嘘に決まってんだろ!?わかってるくせに、いちいちきくなっての!」
しかしあまりにも周りを憚らずサスケの腕にしがみついて来る為、込み上げる可笑しさを隠そうともせずに笑いながら訊ねてみる。揶揄を露わにした物言いだったにも関わらず、怒るどころか怯えた様子の恋人に、縋るような眼差しで見つめられて気分が良かった。
そんな調子で小さな仕掛けにまでいちいち過剰に反応していたナルトは、お化け屋敷を出る頃には目に見えて疲労していた。ジェットコースターから降りた後は平気だったというのに、心なしか顔色も悪い。予想以上のダメージを受けたらしい恋人の様子に流石のサスケも少しばかり罪悪感を覚え、ベンチでの休憩を提案した。
入園料はそれぞれの財布から代金を出したが、昼食はナルトが支払った為、そこに大人しくしてろよと言い残したサスケは、自動販売機で飲み物を買ってからベンチに戻る。小気味良い音を立ててコーラの缶の蓋を開けたナルトは、半分程一気に飲み干して大袈裟に息を吐いた。
「はー、死ぬかと思った」
「バカか、死ぬわけ無いだろ。お化け屋敷で」
「そりゃそうだけどさァ!今までの人生の中で一番怖いお化け屋敷だったってばよ……」
「それほど入った事が無い癖に、比較対象なんて無いだろうが」
「そ、それでも!一番凄かったの!!」
青ざめていた顔色が次第に落ち着き、血色を取り戻していく様子を横目で眺めつつ缶コーヒーを傾けていたサスケは、必死に捲し立てる恋人の子供っぽさに思わず笑いを零す。からかわれているのだと知りながらもつられて笑うナルトの表情が屈託なくて、不意に愛しさが湧き上がった。
こんな風にナルトと過ごしていると、日頃の疲れや小さな悩み、男同士だという引け目のようなものが全てどうでも良くなってしまう。普段口に出す事など無いけれど、離れていても気持ちを伝える事に余念が無い彼が愛しくて、毎日が幸福で溢れているのだ。幼い頃からずっと兄弟のように育ってきて、いつの間にかそこに恋人という新たな関係が加わって、戸惑いはしたものの嫌悪感など微塵も無かった。おそらく普通では無い事など解りきっていた。それでも、常識という誰かが決めた枠に囚われてナルトとの時間を失うくらいなら、体裁などどうでも良いと思えるくらいには、サスケにとってうずまきナルトという存在は、既に唯一無二なのだ。
だいぶ普段の調子を取り戻したナルトをもう大丈夫なのかと気遣えば、ぼんやりと周りを眺めていたナルトは現金に瞳を輝かして前方を指差す。その指先を追って視線を巡らせると、アイスクリームやクレープを販売しているらしい売店が目に入った。
「な、あれ。すげえ旨そう。食いたいなー、ソフトクリーム」
空になったコーラの缶をベンチ横に設置してあるゴミ箱に投げ入れたナルトがわざとらしく甘えた声で強請る。糖分ならコーラで摂っただろうという言葉が喉まで出掛かったものの、たかだか缶ジュースでは昼食代に全くと言って良い程及ばない金額である事に思い当たり、サスケは緩慢な動作で腰を上げた。
「ったく、相変わらず女みてえな食いもんが好きだな……。買ってくるから、そこ動くんじゃねえぞ」
「おう。いってらっしゃい!」
二つ返事で了承するのは照れくさくていかにも面倒な風を装って告げると、ナルトはひらひらと右手を振り満面の笑みでサスケを見送る。そんな彼を、子供っぽいと思うと同時に可愛らしいと感じるのは、どう考えても惚れた弱みだ。
溶けないようにと購入したソフトクリームを足早に運び恋人に手渡すと、ナルトはぱっと瞳を輝かせ、礼を言うなり受け取ったそれにぱくつく。暑いという程でも無かったが、晴れていたせいか冷たいものを買い求める客の数は多かった。すぐ側のベンチで小さな子供が二段重ねのカラフルなアイスクリームを頬張っている様子が目に入り、あのガキと変わらないなと揶揄たっぷりに呟く。すると、幸せそうにソフトクリームを食べ進めるナルトに、こんなウマイもん食わねえサスケの方が損してる、と返され、その開き直った態度には呆れて鼻で笑う他無かった。
その後もぶらぶらと園内を気の向くままに歩いては目についたアトラクションや空いているところに入り、陽が傾く頃には流石に疲労を感じるくらいになっていた。確かナルトはホテルを予約してあると言っていたから帰りの電車の時刻を気にする必要は無さそうだったが、一日中歩き回ったツケが地味に足の疲れを訴えて来る。それはどうやらナルトも同じらしく、そろそろ出るかと訊かれて迷わず頷いた。
「あ、じゃあさ、最後にあれ乗ろうぜ」
夕暮れ色に染まる園内をゆっくり出口へ向けて歩きだした途端、ナルトに肩を叩かれて振り返る。彼の指差す先に視線を向けると、大きな観覧車が夕陽に照らされてゆっくりと回っていた。
「男二人で観覧車かよ……」
「いいじゃねえの、せっかく来たんだし。遊園地デートって言ったらやっぱ観覧車だろ」
「……っ……オイ、俺はまだいいとは言ってねえ……!」
小さな子供を連れた客などが少なくなった分、園内は昼間と比べると混雑はだいぶ解消されている。サスケの手を引いて強引に観覧車の方へ向かうナルトに抗議の声を上げたのは、単なるポーズだ。遠いところまで来たのだから知り合いに会うという事も無いだろうし、観覧車に多少の気恥ずかしさはあるものの、サスケとしてもやぶさかでは無い。しかし、すぐさま了承するのはやはり照れが先に立った。
そんなサスケの内心を知ってか知らずか、サスケの手首を掴んだナルトは人の少ない待機列にならんで満足そうな顔で振り返る。いくら知り合いがいないとは言っても、だからと言って恥ずかしくない訳では無い。その為、ほとんど待つ事なく案内されたのはサスケにとって幸運だった。
係員がゴンドラの扉を閉めたのを確認してから、中で変な事しやがったらタダじゃおかねえぞ、と凄みをきかせた低音で告げると、ナルトは声を立てて笑う。ヘンな事ってなんだってばよ、と答えたナルトの眼差しは既に外の景色に向けられていて、まるで自分ばかりが意識している気分になる。自意識過剰な自分に湧き上がった羞恥心をどうにか押し込めてサスケも外の風景に視線を巡らせ、景色を楽しむ事に集中した。
ゆっくりと上昇していくゴンドラに揺られていると、狭いながらもなかなかに居心地の良い空間に肩の力が抜けて思わず欠伸が漏れる。僅かな呼吸音に気づいたらしいナルトが視線をサスケに向け、微笑ましそうに瞳を細めた。
「疲れた?」
「……別に……疲れたって程じゃ」
「今日は朝から動きっ放しだったからなぁ」
「……てめえのせいだろ」
「はは、そうなんだけどさ」
向けられる眼差しが纏う優しさに胸が締め付けられる。目を合わせていられなくなって、てっぺん近くまで上がったゴンドラから見える景色の良さに気をとられた振りをして視線を逸らし、何気無い会話に応えて相槌を打った。
普段はバカみたいに子供っぽい癖に、ふとした瞬間にナルトはひどく大人の顔を覗かせる。数年前までは毎日同じ高校に通って隣同士の家に帰り、お互いの日々の過ごし方で知らない事など無かった。それが、高校を卒業してからは互いの日常など全く把握出来無い生活に様変わりしてしまったのだ。サスケよりも一足先に社会人になったナルトばかりが大人になってしまったようで、焦りを覚えるような、寂しいような、複雑な心境に陥ってしまう事がある。そういう感情をサスケは上手く自分の中で処理出来ず、正直持て余していた。
「……なぁ、サスケ」
「……っ!」
名前を呼ばれて視線を戻すと、不意に伸びて来た掌が頬に触れて反射的に顔を引いてしまう。その反応をどう思ったのか、一旦動きを止めたナルトの右手は、驚かせないようにと気を遣ってか、殊更にゆっくりとサスケの頬にあてがわれた。
「ありがとな、付き合ってくれて。すっげえ今更だけどさ、朝早くに起こしちまってゴメン」
「…………本当に今更だな……」
この先彼がどんな行動に出るのかある程度の予想がついているにも関わらず恋人の手を振り払えないのは、このシチュエーションでそれを拒む程サスケも野暮では無いからだ。頬にあてがわれた掌から伝わるぬくもりも、真っ直ぐに向けられる優しい眼差しも、サスケにとって慣れたものである筈なのに、夕焼け色に染まるゴンドラの中では何故か特別なものに思えて身動きが出来無い。
普段通りに憎まれ口を返したにも関わらず、ナルトからの返事は無かった。代わりに無言のまま見つめられて、息が詰まる。あまりの恥ずかしさにキスしたいなら早くしろよと急かしてしまいたくなるものの、それではまるでサスケの方がそれを望んでいるようで、安易に言葉にしてしまう事は躊躇われた。
「…………ぶはっ」
頬に手を触れさせたまま突然ふきだしたナルトに驚いて、さまよわせていた視線を目の前の恋人へ向ける。サスケの咎めるような視線に答える事はせず、くくく、と可笑しそうに喉奥で笑うばかりの彼に次第に腹が立って、照れ隠しも兼ねて胸倉を掴み引き寄せると睨みつけた。
「……何のつもりだ」
「いや、キスしたかったんだけど。サスケ、中でヘンな事すんなっつったろ?だから怒られるかなぁって思ったらさ、意外と満更でも無さそうだったから……。でも、あんまり可愛くて、ちゅーする前に笑っちまったの、もったいねえ……」
思い切りすごむつもりで射るような眼差しを向けても、ナルトはへらりと幸せそうな表情を浮かべて笑っている。折角羞恥に耐えて空気を読んでやったというのに、恋人の対応がこれでは台無しだ。ついでに言うと、可愛いと言われるのも女扱いされているようであまり好きでは無い。相手がナルトで、彼に微塵も悪気や揶揄の意図が無いと解っているから、特別に許してやっているだけの話なのだ。
「てめえ……、殴られてえのか」
「んなわけねえだろ!ゴメン、悪かったってば。苦しいから離してくれってばよ、こんなとこ係員さんに見られたらアレだろ。な?」
こんな場所でキスされるのを満更でも無いと思われていたなどと、それだけでも顔から火が出そうな程の羞恥に見舞われてサスケは空いていた左手で拳を握る。しかし本当に殴ろうなどと考えていたわけでも無かった為、ゴンドラが下降を始めている事を感じると、ナルトのシャツを握り締めていた右手から大人しく力を抜いた。
その瞬間、両肩を掴まれて引き寄せられ、恋人の顔が至近距離に迫る。突然の展開に思考が追いつかず身体が固まった。唇が重なったのだと理解するまでに数秒を要して、事態の把握をする頃には僅かな触れ合いは終わっていた。
「……ナ、ナルトてめえ……」
「へへー。いただき」
やられたという悔しさと、照れと、湧き上がる愛しさがごっちゃになって睨みつければ、ナルトは心底嬉しそうに笑って身体を引いた。そのまま深く座り直した彼の視線は既に段々と地面が近くなる外の景色に向けられていて、抗議するタイミングを逃したサスケは拍子抜けしてしまう。楽しそうにゴンドラの外を眺めている恋人の青い瞳が夕陽色に照らされて、言葉では形容し難い輝きを放っていた。
観覧車を降りた後すぐに遊園地を出て、ナルトが予約したというホテルに向かう。夕食はどうするつもりなのかと訊ねれば、途中に美味い店があるらしいからそこにしようぜ、というナルトに誘われるまま、木造の造りが趣を感じさせる食事処へ入った。
美味い店、というからにはナルトは雑誌か何かで下調べをした上で入ったのだろうが、座敷に通されてテーブルの端に置いてあったお品書きを開いたサスケは、メニューの横に表示されている値段に驚き、向かいに座るナルトに小声で声を掛ける。
「……おい」
「ん?なに?」
「……高くねえか、ここ」
「あー……まあ、有名なとこみてえだからこんなもんなんじゃねえの。ホテルでコース食うよりは安いだろ」
まるで当然のように言葉を返されて、サスケはいまいち納得いかずに複雑な心境で再びお品書きに視線を落とした。確かに、ホテルのレストランで五千円だか一万円だかのコースを食べるよりは安く上がるし、堅苦しくも無い。しかしそれでも、アルバイトをしている学生が気安く入る事が出来るような値段では無い事も確かなのだ。
そもそも、サスケは今現金の持ち合わせがほぼ無いと言っていい。否、少しなら財布に入ってはいるものの、普段学食かささやかな買い物程度にしかお金を使わないサスケは、日頃財布に五桁以上の現金を入れていないのだ。
学生とは言っても、学業に支障の無い範囲でアルバイトをしている分、僅かながら口座にお金は入っている。しかし、今朝ナルトから電話を受けてから朝食も摂らずに慌ただしくアパートを出て来て、ATMでお金をおろす時間など無かったのだから、財布に現金を足す余裕など無くても仕方が無い。ナルトが持っているかどうかは把握していないが、まだ必要無いと感じているサスケはクレジットカードも作っていなかった。
「……言っておくが、俺は今それ程持ち合わせが無いぞ」
昼食代をナルトが払ってしまった手前夕食代くらいは出そうと考えていたのだが、注文するメニューにもよるものの、二人分の食事プラス税金に財布の中身が足りるかというと、正直微妙なところだった。しかし、あくまでも対等でいたいと考えるサスケは、ナルトにばかり支払いをさせるのはプライドが許さない。かと言ってホテル代が払えるかというと、夕食代も微妙だというのに勿論そんな筈は無く、どうするべきかと思案して無意識のうちに眉間に皺が寄った。
通帳やカードがあればATMでも現金をおろせたのだろうが、如何せん慌てていた為その類は持ってきていない。それに、例え持ってきていたとしても祝日の今日は既に営業を終了している事だろう。
「なんだよ、そんなこと気にしてんの?最初っから今回の費用は俺持ちのつもりだったから、別にいいってばよ」
「んな訳にいくかよ、総額いくらかかると思ってんだ」
「いくらって…、一泊と二食分じゃたかが知れてるじゃねえの、朝飯はホテルで出るし。俺一応働いてんだから、それくらい出せるぜ。それに、今回は急に俺の行きたかったとこに付き合ってもらったんだからさ」
サスケがまだ学生で精々アルバイト代程度しか無い事を知っているからなのだろうが、ナルトはさり気無く金銭の事については気を遣ってくれる。それは立場の違いから所持金の額が違うのは当然だろうという彼の思考からくるもので、決してひけらかしたところなど微塵も感じられなかったものの、それでもサスケは、デートで支払う額に開きがありすぎるのはあまり気が進まなかった。
「……えっと……、じゃあこうしようぜ。次のデートとその次のデート、飯代サスケ持ち。な、それならいいだろ」
どうやらサスケが不満に感じている事を読み取ったらしいナルトは、暫し考えてそう提案する。つまり四食分程度ということなのだろうが、週末会ったとしても旅行に来た時程贅沢をする訳でも無いのだから、それだけで金額的に釣り合うかは甚だ疑問だった。それに、買い物だけしてサスケのアパートに戻り一緒に食事を用意する事だって少なくない。
「……わかった」
しかし、細かい事に拘るあまり、折角の機会に水を差す程サスケも無粋では無い。了承してお品書きに視線を戻し、何にするか思案を始めると、ナルトは安心したように息を吐いてお品書きのページをぱらぱらと捲り始めた。
結果から言えば、ナルトに連れられて入った店の食事はすこぶる美味かった。その辺の定食屋とは比べ物にならない味に、これならばあの値段も納得がいくとサスケが漏らすと、ナルトは得意げに笑う。気に言ってもらえて嬉しいってばよ、と言いながら子供のように口いっぱいに頬張るナルトの言葉は、いつも素直であけすけで、言葉以上の意味も以下の意味も無い。こいつのこんなところが好きなんだと今更ながらに再認識して、サスケはどれだけ自分が彼に惚れこんでいるのか自覚せざるを得なかった。
全く、一日で何回惚れ直せば気が済むというのだろう。我ながら呆れる他無い。
以上が、本日の顛末である。食事を終えた後ホテルへチェックインし、浮かれるナルトを見ていたら、自分ばかりが彼に心奪われているような気がして悔しくなって、つい先日仕入れたばかりの都市伝説でナルトを怖がらせたという訳だ。
客観的にみて、計画を立てその費用の大部分を負担してくれたナルトの行いは、連絡があまりに急すぎたところを差し引いても恋人の鑑と言えるのではないだろうか。そんな彼に嫌がらせをした上、一人置いて入浴している現状に全く罪悪感が無いのかと問われれば答えには詰まったものの、今更どうしようも無い。
頭皮を刺激するシャワーの水圧を心地良く思う反面、一日の疲労がどっと押し寄せて来てすぐには身体を洗う気にならなかった。
……ったく、なんで俺は、あのウスラトンカチにこんなに弱いんだ……。
心の中で自問してみても答えは出ない。
昔は、少なくとも高校生の頃は、こんな風では無かった。高校を卒業し、離れて生活するようになってから、お互い変わってしまったのだ。否、もしかしたらサスケが自意識過剰なだけで、ナルトはそういうつもりなど無いのかもしれない。しかし、大学生と社会人という立場の違いは、確実に自分達の間に差を作っていると思わずにはいられなかった。
ゴツ、とシャワールームの壁に額をぶつけて目を閉じる。正直に言うと、今日はとても楽しかったのだ。久しぶりにナルトに会えて、彼の行きたがっていた場所を訪れ、ナルトが楽しそうにしている様子を見ているとサスケも心が弾んだ。それだけに、一度自分の女々しさが目につけば嫌悪感が湧き上がる。
そんなネガティブな思考で頭がいっぱいだったサスケの耳には、浴室の扉が開く僅かな音は聞こえなかった。気配に気づき、慌てて振り返ろうとした時には既に背後からナルトに抱き締められていて、身動きを封じられている。
「やだってばよサスケ、やっぱり一人で待ってんの耐えきれねえ!一緒に入る!」
追って来るならすぐさまだと思っていた為すっかり油断していた事を後悔するが、もう遅い。当たり前だが服を脱いで入って来たナルトにきつく抱きしめられれば、濡れた素肌がこれ以上無い程に密着する。ただでさえ落ち着かない気分でいたところにこれでは、心臓に悪いどころでは無かった。
「は、離れろ!じゃあ俺が出る!」
「そんじゃ意味ねえんだって、一人で風呂とかもっと怖えだろ!頭洗ってる時に後ろになんかいるような気がしたらどうしろって言うんだってばよ!?」
「し、知るかそんなもん……!大体そんな事ある訳ねえだろ、ガキかてめえは」
「わかんねえじゃねえの!さっきの話も、本当にあった事なんだろ!?」
都市伝説の話を持ちだしたのがサスケである手前、泣きそうな顔で迫られては何も言えなくなってしまう。実のところ、サスケ個人としてはインターネットで仕入れた都市伝説が本当の話かどうかは半信半疑だった。ただ、ツイッターというツールに記録が残っている以上ある程度は信憑性があるし、その方がナルトが怖がるだろうというくらいの認識でしかない。
「解った、……解ったから…。出ていかねえから、とりあえず離せ。身動きが取れねえ」
「……ホ、ホント……?」
恋人をシャワースペースから追い出すのは諦め、安心させるように二の腕あたりをさすってやりながら説得すると、漸くナルトは腕の力を緩めた。息苦しさと窮屈な体勢から解放されたサスケは小さく息を吐き、身体を反転させてナルトと向き合う。青い瞳が不安そうに揺れていて、そんなに怖がらせてしまったのかと流石に罪悪感が湧き上がった。
「あんな話がそんなに怖いのかよ」
「……だ、だってすげえホントっぽいじゃねえの……。怖えだろ……」
成人した男がたかが都市伝説であれ程怖がる事に僅かでも羞恥心があるのか、サスケの胸元に額を押しつけるようにして俯いたナルトは言いづらそうにぼそぼそと呟く。言い訳じみた事を言う彼の仕草や声のトーンは子供の頃のままで、そんな一面を確認出来た事にどこか安堵を感じた。恋人が子供っぽいままである事に安心するのは、一足先に大人になってしまったナルトに置いていかれる事が悔しく、また寂しくもあるからかもしれない。
「……そういうところは、全然変わってねえんだな」
サスケの二の腕辺りを掴んで離さない恋人の金髪をくしゃりと?き混ぜるように撫でてやりながら独り言のように告げれば、ナルトは意外そうな表情を浮かべて顔を上げた。
「そういうところは、ってなんだってばよ。他のとこは変わっちまったみたいな言い方するんだな」
「……変わっただろ」
「どこが」
「……どこがって……」
向けられる双眸は純粋に疑問の色を滲ませていて、思わず言葉に詰まる。成長しただとか、大人っぽくなっただとか、社会人らしくなったとか。微妙なニュアンスは違えど大体の意思を伝える言葉は複数思いついたものの、どれもしっくり来ず、それ以上に口に出すのが照れくさかった。
「……別に」
「なんだよ、意味わかんねえ……」
結局はぐらかせば、ナルトは追及しようとはせず小さく笑ってサスケの身体を抱き締める。押し問答の間もお湯を出しっぱなしだったシャワーですっかりナルトも濡れてしまっていて、密着した身体は必要以上にサスケを意識させた。
「……オイ」
「ん?」
「確認するが、一人でいるのが怖かったから入ってきたんだよな?」
「そうだけど」
「それ以外の意図は無いな?」
「…………」
気恥ずかしさに耐えられなくなって問い掛けると、ナルトは二度目の質問で黙り込む。なし崩しに持っていきたい展開があるのなら適当な言い訳をつけて誤魔化してしまえば良いものを、それが出来ない馬鹿正直なところはいつまで経ってもそのままだ。
煮え切らない態度が彼の良いところでも悪いところでもあるのかもしれないが、サスケはナルトのそういうところが実は気に入っている。成長しても、主導権を握りきれない男なのだ。いくら成長する事が素晴らしいとはいっても、つけいる隙がある方が人間魅力的に感じられるという話はその通りである。僅かに口元を緩めたサスケは、視線を逸らした恋人の頬に触れ、壁についていた背を浮かせて口づけた。
「そのつもりで来たんなら、早くしろ。……その代わり一回だけだぞ、折角の休みなんだから、明日の予定を潰すのは勿体無い」
濡れて額に張り付いていた自身の前髪を後ろに流し、誘うような妖しい声音を意識して耳元で低く囁く。恋人が喉を鳴らすのが解り、それだけでぞくりと背筋が震えた。
サスケ、と上擦った声で名前を呼ばれて両肩を掴まれる。至近距離で真っ直ぐに向けられる青い瞳にもう迷いは感じられず、その眼差しの真剣さに思わず心臓が跳ねた。再び背がシャワースペースの壁に押し付けられ、唇が重なる。明確な意図を持って深まるそれに満足そうに目を伏せたサスケは、さり気無く恋人の首に両腕を回して肩の力を抜いた。
求められる事を求めてしまう程、サスケも悔しいくらい恋人に惚れこんでいる。そう自覚しながら、相手の舌を誘うように薄く唇を開いた。