【別れの猶予と花明かり】



※リーマン×大学生。18歳。高校卒業したての四月上旬。
 付き合ってはいるけどまだあまり進展していない二人。




「……それにしても、ほんとすげえなぁ……」
 言いつけ通りにひと仕事終えれば安心感が押し寄せて、ナルトは四隅をきちんと留めたビニールシートの上に寝転がった。それに伴って変わった視界には、晴れ渡った空の青さよりも桜の花びらの薄桃色が目立って映る。




 三月に高校を卒業したナルトは、かねてからアルバイトをしていた建設コンサルタント会社に就職した。高校一年の頃から長期休暇に入る度にコンスタントにアルバイトとして勤めていたとは言っても、ナルト自身卒業後具体的にどうするかまで考えてアルバイト先を決めた訳では無い。
 何となく面接を受けてアルバイトとして入った会社は自社ビルを持っているそこそこ大きな企業で評判も良く、正社員として入社するのは難しいと聞いていた。その為、勤め先で可愛がられていようが就職とアルバイトは別だろうと考えていたのだ。いくら考えの甘いナルトでも、それくらいの常識は持ち合わせている。
 だからこそ三年生に進級して進路を考えた時、サスケと違って進学を希望していた訳ではないナルトは、就職活動をせねばならない憂鬱さに暫く気分が沈み込んでいた。余程憂鬱そうに見えたらしく、同級生だけでは無く普段は素っ気無いサスケにですら心配され、どうかしたのかと声をかけられた事を良く覚えている。
 働けばお金を稼げるとはいっても、目の前に迫った就職という難題を見て見ぬ振りをしてアルバイトに勤しむ訳にはいかない。だから三年生の夏、長期休暇に入る直前にいつものようにバイト先から携帯電話に着信があった事に気づいた時、アルバイトの要請は就職活動を理由に断ろうと決めて電話をかけなおした。申し訳無いとは思いつつも、自室で無料の求人誌を捲りながらその旨を告げる。元々さほど真剣に読んでいた訳では無かった求人誌の内容など全く頭に入ってはいなかったけれども、え、うちに来るんじゃないの、というのんびりした声を電話口で聞いた時には流石に手が止まった。驚きのあまり携帯電話を取り落としそうになり、何かの間違いではないかと自分の耳を疑って聞き返す。すると、声の主は小さく笑って優しい声で呟いたのだ。

 春からオレの部下になってよ、ナルト。

 ナルトはアルバイトをする度に指示をくれる、肩書きの割りに随分年若いこの上司のことは勿論、会社の雰囲気や仕事内容が好きだった。だから就職活動をせずに済む事よりも、何となく憧れを抱いていた企業で、信頼している人の元で仕事が出来る喜びにその場で二つ返事で承諾し、夏期講習の合間を縫ってアルバイトも承る事にした。
 考えてもいなかった展開が信じられなくて、電話を切った後も暫くぼんやりと目の前に広げた求人誌の記事を見つめていたものの、自分にはもうこんなものなど必要無いのだと気づくなり丸めて部屋のゴミ箱に投げ入れる。何もせず座っていても汗が滲んで来る程気温の高い自室の中、唯一機械音をたてながら回る扇風機の風で、窓辺に吊るしてある風鈴が揺れた。まだ中学生だった頃、サスケやサクラと三人で夏祭りに行った時、サクラから貰ったものだ。涼しげな音が耳に心地良くて、何だかお祝いされているような気がして嬉しくなったあの日の事が、随分遠い昔のように思えた。
 そのままナルトは夏休みも冬休みもアルバイトとして会社に通い、卒業式を終えた後、四月に正式に社員として入社するまでの間もバイト扱いで勤務する事になった。もっと良い大学も狙えるのに勿体無いと言われながらもサスケは頑なに地元の国立大学一校しか受験せず、周りの予想通りに難なく合格して当然のように進学する運びとなっている。
 卒業式の後、バイトの無い時はサスケの部屋に入り浸って引っ越しの手伝いをする間、長く一緒に過ごして来た彼がすぐに会えないところへ行ってしまう実感がひしひしと押し寄せて来て、サスケの荷物を段ボール箱に詰めるナルトの手は何度も止まった。なにしろ、地元とは言ってもサスケが進学する大学までは電車で二時間程度かかってしまうのだ。通いながら資格試験の勉強やアルバイトをするというからには近くにアパートを借りるほか無かった。充実した大学生活をサスケが送る為には、引っ越す以外の選択肢など考えられない。それは十分解っていたけれども、納得出来た訳ではなかった。平然とした顔で黙々と作業を進めるサスケに、四月から社会に出るナルトが弱音を零すのもなんだか気が引けて、結局寂しいという素直な気持ちは告げられないままに四月を迎えてから数日が経つ。
 正式に正社員として入社してから数日、毎年新入社員が行うと決まっているのだと言われてナルトが受けた仕事は、花見の場所取りだった。
 比較的会社の近くにある大きな公園は、満開になる頃毎年地元のテレビ局が取材に訪れる程の人気スポットである。ナルトも昔から良く知っていて、家族や友達と何度か花見に来た事もあった。しかし、会社での花見となれば小さなレジャーシート一枚分のスペースで済む筈が無い。昼過ぎにはめぼしい場所はほぼ埋まってしまうという話を聞いたナルトは、サスケに電話をかけその予定を何気無く話しながら、クシナやミナトから借りて来た予備の目覚まし時計を含め合計五つもアラームをセットし、気合を入れてベッドへ入った。
 普段より随分早めに就寝した甲斐もあってか、翌朝、五分ずつアラームの時間をずらした目覚まし時計を最後のひとつが鳴るよりも早く止める事が出来た。眠気を堪えながらもほっと胸を撫で下ろして、寝ぼけた頭と体を起こす為熱いブラックコーヒーを飲む。コーヒーは砂糖とミルクが入っているものしか飲めないナルトはその苦さだけでも随分と目が覚め、三畳分、と書かれた広いビニールシートを数枚と留め具を持って早朝に自宅を後にした。寒さの為か僅かに霧がかかったように視界の悪い中公園を訪れ、指定された通りに中央よりもやや左奥の大きな桜の木の下で青色のそれを広げる。少なくともナルトの周りにはまだ誰も居なかった。
 早起きした甲斐があって場所取りは問題無く終了し、安堵の息を吐いたのもつかの間のこと。寝ぼけていた為か、暇潰し用の携帯ゲーム機どころか、昼食すら持参しなかった事に気づいて深い溜め息を吐く。全く、自分の事ながら毎回何かと詰めが甘い。
 しかし、ビニールシートの上に寝転がって満開の桜と枝の隙間から覗く青空を見つめていると、こうやってたまには何もせずぼんやりと空を見つめて過ごすのも悪くないと思えてきた。シンプルな腕時計に視線を巡らせれば、文字盤は普段ならまだ朝食を食べているような時刻を指し示している。昼近くなればおそらく人も増えるだろうから、昼食は誰か近くに居る人に声を掛けてからコンビニにでも行けば良いだろうと考えて、ゆるやかに襲い来る眠気に逆らわず瞼を下ろした。まだほんの少し涼しさを含んだ風邪も、春のあたたかな陽射しの下では心地良い。ナルトが穏やかな寝息を立て始めるまでに、そう時間はかからなかった。




「……い、……おい、起きろ、ウスラトンカチ。風邪ひくぞ」

 幾度もナルトを呼ぶ聞き慣れた声に意識が引き上げられ、数度の瞬きの後に目を開く。
 一体どれ程の時間うたた寝していたのだろうか。目の前に立つ人物が声の主であると何となく認識しても、突然の出来事に驚くあまり、まだ自分が夢の中にいるような気がしてすぐに反応する事が出来無い。

「……昼飯、もう済んだのか」

「……いや、まだだけど……。えっ、サスケ?なんで…、…つうか、大学は!?」

 暫くしてやっと現在の自分の状況を思い出すも、何故ここにサスケが居るのかが理解出来ず頭の中は混乱したままだった。現状確認の為に慌てて視線を落とすと、うたた寝してはいたもののナルトはきちんとスーツを身に纏っている。周りを見回せば、咲き誇る桜が美しい公園のあちこちに貼られたレジャーシート。勿論、ナルトが寝転がっている場所にも青く広さのあるシートが敷かれていて、先輩社員に教えられた通り留め具で四隅を固定してあった。そうだ、新入社員であるナルトはわざわざ早朝から起き出して花見の場所を確保しに来たのだ。
 どうやら、寝ぼけているわけでも夢の中にいるわけでも無いらしい。高校生の頃は朝なかなか起きられず、母親であるクシナや、クシナに頼まれて部屋に上がり込んで来たサスケに叩き起こされていただけに、早起き出来るか心配だったのだ。早朝に起きて場所取りした事が夢の中の出来事で無かった事に安堵の息を吐き、胸を撫で下ろす。きょろきょろしているナルトをどう思ったのか、サスケは呆れたようにちいさく溜め息をつくと淡々とした声でナルトの疑問に答えた。

「まだオリエンテーリングがあっただけで、本格的に講義が始まるのは来週からだ。……昨日電話でも言っただろ、相変わらずお前、人の話聞いてねえな」

「そ、そうだっけ…。……で、え、……なんでここに居んの…?」

「……引っ越しの片付けも講義の申し込みも終わって、……暇だっただけだ。天気も良かったし」

「そ、そうじゃなくて…。…俺、電話で言ったっけ?この公園で場所取りするって」

「……会社の名前は知ってたし、この辺で大勢で花見が出来る場所なんて他に無いだろ。早朝から場所取りしないといけないくらい人気の公園なんて、ネットで探してもここ以外に考えられなかった」

 暫くナルトの疑問に答えながら突っ立っていたサスケは、質問ばかり浴びせられる事に辟易したのか、不機嫌そうに眉を寄せると靴を脱ぐなりブルーシートに上がり込んだ。真ん中であるナルトの隣に無言のまま腰を下ろし、持っていたコンビニの袋をナルトに押し遣るように置いて胡坐をかく。ひとつひとつの行動は荒っぽく見えても、脱いだ靴をきちんと揃える辺りやはりサスケは行儀が良い。
 サスケが持って来たビニール袋の中身が気になって覗き込むと、温めて貰ったコンビニの弁当が二人分と、ナルトが好きで良く学生の時に買い食いしていたから揚げだった。
 コンビニの種類はいくつかあるが、三月まで通っていた高校の近くにあったのが青地に牛乳マークの看板が目立つコンビニだった事もあって、紙の容器に入った馴染みのそれをナルトは新商品が出る度に買い食いしていた。大抵一緒に居たサスケは意外な事に特に止めもせず毎回ナルトの共犯になり、しつこいくらいに勧めるナルトに根負けする形で、ニワトリの絵柄が描かれている入れ物に入っているから揚げをいつもひとつだけ口にするのが常だった。蘇る記憶はまださほど遠いものでは無い筈なのに、何故か共に湧き上がる懐かしさにほんの少しだけ感傷に浸る。一度か二度教師に見つかって二人して説教をくらった後もサスケは特に気にした様子は無く、その後もコンビニに寄りたがるナルトに文句も言わず付き合ってくれていた事は、今思い出しても不思議な気分になった。
 いつだったか、朝のテレビで珍しいお菓子の特集をした際に、ナルトが良く買い食いしている例のから揚げにかなり低い確率で焼印がついているらしいと話題になった事がある。それからというもの、購入する度に焼印がついているかどうか確認するのが癖になったけれど、余程珍しいのか何度買おうが焼印付きのから揚げには出会えないまま三年生になった。季節に関係無く新商品が出る度に買っていたにも関わらず卒業が近づいても一向に出会えないままで、ナルトはもう半ば諦めてすらいたと言っていい。そんな中、サスケの大学受験が迫った冬のある日、いつものように何気無く寄り道して買ったからあげの中に焼印がついているものを見つけた時には、思わず大声を上げてサスケを驚かせた事を思い出し、ナルトは小さく笑いを漏らす。理由を話せば、ナルトが何年もそれを心待ちにしていた事を知っていたサスケは、そんな事かとは言いながらも喜んでくれた。顔を寄せ合って焼印のついたから揚げを覗き込み、お前に似てアホ面じゃねえか、良かったな、と笑ったサスケの顔が忘れられない。その焼印のついたから揚げは、数分の押し問答の末結局サスケの胃におさまった。サスケが志望校に合格する事など解りきっていたけれど、それでもサスケに食べて欲しくて喧嘩一歩手前まで揉めに揉めた。冷える前に食わないと不味くなると言って爪楊枝に刺したから揚げを強引にサスケの口元に押し当てて粘った結果、不服そうな顔のサスケがやっと口を開けてくれた時の嬉しさは言葉では言い表せない。怒鳴り合う寸前まで言い合いをした後の事だっただけに喜びはひとしおだった。複雑な表情を浮かべたサスケが仕方無さそうにナルトの手からから揚げを頬張る様子を間近で眺めていると、嬉しさが蘇ると同時に、どちらが食べるかで喧嘩までしている自分達が可笑しくなって思わず笑いが零れる。まだほんの数ヶ月前、二人とも高校の制服を着ていた頃の話だ。

「……何ニヤニヤしてやがる。食わねえなら持って帰るぞ」

「ちょ、ちょっと待てってばよ!んなわけねえだろ!」

 まださほど懐かしくもない記憶に思いを馳せていると、いつまでもコンビニのビニール袋に手を出さないナルトに焦れたらしいサスケが不機嫌そうに告げてビニール袋を引っ込めようとするので、慌てて手を伸ばしまだ温かいそれを自分の側へ引き寄せる。サスケと離れてからまだそう時間は経っていないけれど、変わらない気の短さに安堵を覚えた。

「…………好きな方、選べ」

 素っ気無く呟いてそっぽを向くサスケは、相変わらず素直じゃない。笑いを堪えつつ一言礼を言ってビニール袋の中を探る。そういうところがいちいち愛しいのだと口に出せばおそらく怒り出す、そういう人一倍照れ屋なところのあるサスケが、ナルトは好きだった。
 温かいお茶やから揚げも纏めて入っているコンビニのビニール袋から取り敢えず弁当だけを二つ取り出す。選ぶまでも無くどちらがナルトのものでどちらがサスケのものか一目瞭然で、おそらくナルト用にと買ってきてくれたのであろう方を自分の膝の上に乗せると、もうひとつの弁当は傾かないように注意しつつサスケに手渡した。不機嫌そうな顔をしながらも文句ひとつ言わず受け取ったサスケは、外側のラップを剥がしてからナルト同様膝の上に弁当を置く。袋の中に残されていた温かいお茶はシートの上に倒れないようそっと立て、割り箸は無言で互いの弁当の上に置いた。

「ありがとな。いただきます」

 きちんと両手を揃えて食前の挨拶を済ませ、厚切りロースカツ丼と書かれたプラスチックの蓋を外すと、食欲を刺激する匂いが立ち上り知らず知らずのうちに喉が鳴る。途端に空腹を感じる自分の現金な身体に僅かに口端を歪めつつ、木製の箸を銜えて割りながら横目でサスケの様子を窺うと、彼も両手を合わせてから弁当の蓋を外すところだった。
 いかにもナルトが好きそうなガッツリ系を選んで買って来てくれたサスケの優しさに胸が満たされるのを感じつつ一口頬張れば、コンビニ弁当にしては値が張る方なだけあってお世辞抜きに感じる美味しさに口元が綻ぶ。花見らしい弁当とは言えないが、ふわふわでとろみのある綺麗な黄色のたまごの上に、こんがり揚がったきつね色のロースカツが乗っている色合いが綺麗で、それと同時に食欲をそそる。咀嚼したカツも通常のコンビニ弁当よりも厚さがあり柔らかかった。

「これ、すっげえ美味い!なあなあ、サスケも一口食う?」

 味に感動して、感嘆の声を上げながらサスケの方を向く。時折強くなる風にビニール袋が飛ばされないよう、蓋がオレンジ色の温かいお茶を一口飲んでから、袋の上に重しとして置いたサスケは、箸で挟んだ玉子焼きを口に運ぼうとしているところだった。

「別にいい。口に合ったなら良かったじゃねえか、冷める前に全部食っちまえ」

 抑揚の無い声で呟く端正な顔立ちの恋人は、しかしほんの少し楽しそうだ。親しくない人間から見れば違いが解らないくらい微妙にではあるか、ナルトにはそう見えた。品の良い箸使いで白米を口に含み、咀嚼する。次に何を食べようか僅かに迷う素振りを見せ、結局シュウマイを箸で摘んだ。何気無いその仕草が全て、サスケのものだと絵になってしまう。
 サスケが食べているのは、ナルトのものより幾分か値段の安い幕の内弁当である。値段を比べるつもりなど無かったものの、コンビニ弁当の多くが蓋の一番目立つところに商品名と価格を表記してある為、どちらか選ぶ際に目についてしまった。おすすめ幕の内と銘打たれたそれは、厚切りロースカツ丼よりいくらか価格は安いものの、バランス良く並んだおかずが綺麗でナルトのものよりよっぽど花見弁当らしかった。
 スタンダードだが何種類ものおかずが並んだ弁当の中から、ひとつずつ箸で摘んで白米と交互に食べ進めていくサスケの髪や肩に桜の花びらが舞いおりて来る。その光景だけで幸せな気持ちが胸に溢れ、今居る場所が屋外である事も忘れて彼を抱き寄せてしまいたい衝動に駆られた。
 四月上旬と言えど、時折吹く風が孕む空気はまだ少し冷たい。暖かな陽射しが身体を温めてくれている間は気にならないものの、風に流されてきた雲が太陽を僅かな間覆い隠してしまえば途端に肌寒さを覚えた。二人の間にあるビニール袋とお茶のペットボトルを取っ払ってもっと身を寄せあえば、心地良い温かさにもっと幸福になれるに違いないのに。しかし、いくら今はまだ人もまばらであるとは言っても、屋外でそんな行動に出られる程ナルトも肝は座っていない。サスケに目を奪われ見とれている事を悟られないように、つい彼の方へ向かってしまいがちになる視線を外しながら弁当を食べる事に必死だった。
 朝食が早かった為か、ボリュームのある弁当をあっさり食べ終えたナルトはサスケに勧められるまま袋の中に残っていたから揚げにも手を伸ばした。サスケにも食べるか訊いてみたところ案の定要らないと言うので、いつも寄り道して買い食いしていた頃のように、一個だけ、と爪楊枝で刺したから揚げを執拗に差し出す。いいって言ってるだろ、とふいと顔を逸らすサスケを追いかけて手を伸ばせば、三回目のやり取りでどうにか食べて貰う事に成功した。粘り勝ちというやつだ。

「……お前も、引っ越すんだろ。いつなんだ」

 目論見が成功した事に満足感を覚えつつ残りのから揚げを頬張っていると、ナルトより少し遅れてプラスチックの弁当箱を空にしたサスケが呟いた。思わず彼の方へ目を向ければ、ナルトの方を見つめていた黒い瞳と視線がぶつかる。
 三月末はサスケの手伝いもあったし、他に引っ越す同級生と別れを惜しむように会う予定を詰め込んだ為に随分立て込んでいた。その為まだ何の準備も出来ておらず実家暮らしのナルトだったが、勤務に慣れて落ち着いたら一人暮らしを始めようと思う、という考えはもう両親にもサスケにも伝えてある。両親はナルトの自立に勿論賛成してくれたし、反対する理由も無いだろうサスケにも特に何も言われなかった。

「父ちゃんと母ちゃんにも世話になったし、初給料もらって飯でも御馳走してからって思ってってから、来月くらいかな。ゴールデンウイークになったらまとまった休みがとれるだろうし、その時にでも部屋探そうかと思って」

「給料なんて貰わなくても、バイト代があるだろ」

「何言ってんだってばよ、初給料で御馳走すんのに意味があるんじゃねえか。まあ、別に飯じゃなくても、旅行とか温泉でもいいけどさ。……それに、元々使う目的があってバイトしてたから、そんなにバイト代がたくさん残ってるわけでもねえし」

 残りのから揚げを頬張りながら何気無く会話を続ければ、サスケが視線を落として黙り込む。その眼差しが彼の右手首辺りに注がれている事に気づくと、ナルトは身を乗り出し慌てて捲し立てた。

「べ、べつにサスケの為に使ったってわけじゃねえからな!?俺だって同じくらいの値段の時計買ったし、イタチにだってお礼したし!」

 ナルトの言葉に、サスケはゆっくりと顔を上げる。彼が今身に着けている腕時計は、大学の合格祝いにとナルトが贈ったものだ。サスケが大学に合格する事など解りきっていたけれど、春から数年の間離れて暮らす生活になると知った時に、何か形に残るものを贈りたいという純粋な気持ちからプレゼントしたもので、今の言葉に他意は無い。

「……イタチにお礼…?」

「へっ……?」

「……聞いてない」

 しかし、ずいと顔を寄せて来たサスケの返事は、ナルトの予想から外れたものだった。急に低くなった声音と鋭くなった眼光に圧倒され、サスケの方へ乗り出していた身体を無意識のうちに後ろへ引き戻す。

「イタチに何かやったのか」

「……え…、…あー……、えっと、…俺とサスケの時計買った店で、ネクタイピン買ってプレゼントしたんだってばよ。時計二つ買っちまってたし、あんまり高いもんは買えなくてさ……」

「なんで黙ってたんだ」

「黙ってたっつうか…、……てっきりイタチから聞いてると思ってたっつうか。別に隠してたとかっていうわけじゃ、ねえんだけど」

 追及するような勢いに気圧されて言葉に詰まった。それでも何とかありのままを話して、空になったから揚げの紙容器の中に爪楊枝を入れてくしゃりと潰す。さまよう視線を落ち着ける先を探しながらペットボトルに残っていたお茶を飲み干した。
 センスに自信が無かったナルトは、サスケに贈る腕時計を選ぶのにイタチを引っ張り出したのだ。せっかくなら数年間は着けられる質の良いものを贈るついでに、四月から社会人になる自分のものも購入しようと決めて、高校三年生の夏休みと冬休みにアルバイトで稼いだ資金を全てつぎこむつもりで気合を入れていた。
 しかし、どういうものを選べばサスケが気に入って使ってくれるのか、通りすがりにショーウィンドウを覗き込んでも、らしくもなくファッション雑誌を買って捲ってみても、皆目見当もつかない。そこで、サスケのセンスに近い感覚の持ち主であろうイタチに声をかける事にした。以前、イタチが購入してきた服をサスケが文句ひとつ言わずに着ているという話を聞いていた事もあり、それならばと思って連絡をとったのだ。その頃既に社会人になっていたイタチは仕事で忙しくしていたようだったけれど、ナルトが事情を話すとすぐに都合をつけてくれた。イタチの連絡先は、何となくサスケに訊くのは躊躇われて、訳を話して彼ら兄弟の母親であるミコトから入手した事は、今もサスケには告げていない。
 サスケが模試を受ける予定になっていた日曜に待ち合わせて、ゆっくり時間をかけて腕時計を選ぶのは楽しかった。はなからイタチに決めて貰おうとするナルトの言葉に曖昧な相槌を打ちながら頷いた彼は、いくつか候補を決めて最終的にはナルトに選ぶよう促した。お揃いにして恥ずかしがられるのは本意では無かった為、自分の分は同じメーカーから発売されている違うタイプのものを選ぶ。ほとんど一日付きあわせてしまったお詫びとお礼を兼ねてイタチにネクタイピンをプレゼントしたものの、その日の昼食代はイタチが出したのだから、結局借りは返せていないままだった。
 初給料が入ったら、両親だけではなくイタチにも何かお礼をせねばと考えながら丸めた紙容器と空になったペットボトルをコンビニのビニール袋に押し込む。そう言えば、サスケに黙ってイタチと二人で出掛けた事がバレた時も、表だって文句こそ言わなかったものの、随分機嫌を悪くしたサスケは暫く話しかけ辛いオーラを放ち続けていた。
 イタチもかなり手放しでサスケの事を可愛がっている節があるものの、普段表にはなかなか出さないだけでサスケだって十分にブラコンと言える域だとナルトは内心思っている。言えばまず間違い無く機嫌を損ねたサスケと喧嘩になる事は解りきっているし、ナルト自身イタチの存在に勝てない事にほんの少し嫉妬心を覚えてしまう気持ちを認めたくなくて、あまり考えないようにしているだけの事だ。兄弟愛にヤキモチを妬くなんて不毛極まりないし、何より、兄弟の居ないナルトは、イタチの話をするサスケも好きだった。
 弁当箱とペットボトルの中身をお互い全て空にしてしまってからも、サスケは青いレジャーシートに腰を下ろしたままぼんやりと桜の木を見上げ、一向に帰ろうとはしなかった。
 いくらまだ講義が始まっておらず忙しくは無いと言っても、現在地の公園からサスケの引っ越し先までは数時間かかってしまう。帰りが遅くなれば何か不便があるのではないかと心配になって何気無く訊ねてみれば、今日は実家に泊まると言葉を返したサスケは、鞄の中から一冊の本を取り出した。邪魔したくは無いと思いながらも気になって内容を盗み見ようと視線を巡らせる。表紙に印刷されたタイトルは読みとれたものの、それでも中身の予想はつかないままで、およそナルトの生活には馴染みの無い専門書のようだった。

「……何読んでんの」

「……参考書だ。在学中に出来るだけ資格を取りたいからな。卒業した時、どっかのウスラトンカチと比べて就職が四年遅くなっただけじゃ、大学に行った意味が無いだろ」

「さっすが、頭の出来が違う奴は言う事も違うってばよ……」

 歯に衣着せぬ物言いに苦笑を浮かべながら呟けば、複雑そうな表情を浮かべたサスケと目が合った。真っ直ぐにナルトを見つめる黒い双眸の中に物言いたげな色を感じて言葉の続きを促すも、僅かな間視線をさまよわせたサスケは結局何も言わずに本を開く。
 つい先日までは同じ高校に通う同級生だったというのに、月が変わっただけでお互いの立場は随分違ってしまった。けれど、学生のままのサスケはともかく、ナルトにはまだ社会人としての自覚が備わる程の経験など無い。遠距離になったとは言っても、まだそんな実感も湧いてこなかった。
 ただ今までのように、お互い喋らなくても一緒に居る事が心地良くて、頭の後ろで腕を組んだナルトはそのまま身体を後ろへ倒して再びシートの上に寝転がる。早起きした分はうたた寝で取り戻した筈だというのに、暖かな陽射しと柔らかな風に誘われるようにしていつの間にか意識が遠のいていった。




 感じる肌寒さに目を覚ませば、ナルトの目に映る辺りの色は記憶のそれとはすっかり変わってしまっていた。ほんの少し前まで青かった筈の空はすっかりオレンジ色に染まり、代わりにいつの間にか灯った街灯が足りない明るさを補っている。

「……サスケっ!?」

 慌てて起き上がり辺りを見回せば、サスケはナルトの記憶通りの場所で、全く同じ体勢のまま参考書を読んでいた。良く寝てたな、とからかいの色を含んだ声音で返されて、思わず大きな声を出してしまった自分が恥ずかしくなる。それでも、感じた安堵は隠しきれなかった。一瞬、すっかり寝入ってしまった自分を置いてサスケが帰ってしまったのではないかと思ったのだ。以前のように、いつでも会える訳では無くなった彼が自分の側から離れてしまう事を、知らず知らずのうちに恐れていたのかもしれない。
 身体を起こした時に何かがずり落ちるのを視界の端に捉え、慌てて手を添えればそれはサスケの上着だった。どうやら、寝入ってしまったナルトに掛けてくれたらしい。素っ気無い彼の不器用な優しさに胸がじわりと温かくなると同時に、不意に感じた肌寒さに思わず身体が震えた。四月とは言え日が落ちれば随分気温が低くなる事を思い出して、隣に座るサスケを見遣る。特に寒そうにしているようには見えなかったものの、暑いから上着を脱いだという訳でも無い筈だ。現に、段々と夕闇に染まりつつある公園に集まり始めた人々は大体が暖かそうな格好をしていて、コートを羽織っている女性も多かった。

「……悪ィ…。…これ、ありがと」

「別に…、…花見の場所取り任せた新入社員に風邪ひかれたんじゃ、上司も後味が悪いだろうと思っただけだ」

 何度か寝返りを打ったのだろうか、袖の部分が少々皺になっている事に気づいて掌で伸ばしてから上着を返すと、サスケは相変わらずの憎まれ口を叩きながら参考書を閉じ鞄に仕舞ってから上着に袖を通す。彼の鼻の頭がほんの少し赤い気がしたのは、くしゃみでもしたのか、それともナルトが抱く申し訳無さと夕闇の薄暗さが相俟った結果だろうか。
 そのまま立ち上がり、ゴミが入ったコンビニのビニール袋を手にしたサスケを引き留めたい気持ちになる。しかし、もう暫くすれば同僚達が集まってくる事が解っているだけに、そうする事の出来無いもどかしさに言葉が出て来なかった。もっと一緒に居たい。今までずっと、望まなくとも共有出来たサスケとの時間は、もう望んでも手に入らない。その事実を改めて突き付けられた気がして胸が詰まった。

「じゃあな。しっかりやれよ、新入社員」

「……おう。夕方まで退屈するだろうなって思ってたけど、サスケが来てくれて楽しかったってばよ。昼飯も助かったし…、……あ、飯代」

 見送るつもりでナルトも立ち上がれば、サスケに右手で制されて今の自分の立場を思い出す。人が増え始めたこの時間帯に、場所取りの当番がシートをほっぽりだして離れる訳にはいかない。
 世話になっておきながら送るとも言ってやれない自分の不甲斐なさに項垂れていると、そんな様子のナルトをどう思ったのか、悪戯っぽく笑ったサスケが、小さく潰して口を縛ったビニール袋を鞄に仕舞いながら呟いた。

「今度奢って貰うからいい。初給料で、日頃世話になってる俺にも何か礼をしてくれるんだろ?」

「……お、おう!モチロンだってばよ!」

 予想外の言葉に顔を上げて二つ返事で頷く。引っ越しの為に色々と準備する事も多く、正直サスケの事まで考えていなかった。しかし、いくら高卒の初任給とは言っても、両親に何か贈った後でもサスケに食事を御馳走するくらいの額は残っているだろう。コンビニ弁当やファーストフードでは無く、少しだけ背伸びをして普段なら行かないような良い店を予約してみてもいい。予期せぬデートの誘いに、それだけで期待に胸が高鳴った。
 靴を履きナルトに背を向けたサスケが何だか寂しそうに見えるのは、きっと自分の願望だと解っていながらも、衝動のままに抱き締めてしまいたくなる。おそらく簡単には会えなくなるこれからの四年間は、こんな風に別れの時に今までに無い喪失感を味わうのかもしれない。しかし、もう子供では無いのだ。
 ナルトは密かに握った左手の拳に力を込め、それとは逆の掌を軽く振りサスケに別れを告げた。サスケはほんの少し困ったように視線を揺らして、結局、ああ、と曖昧に返事をしただけで公園の出口へと向けて歩いていく。
 引っ越しの手伝いという名目で、荷解きをする為にサスケの新居まで押しかけたりしていた事もあって、遠距離になってしまったという実感はまだそれほど無かった。
 ただ、まだ段ボール箱が積み重ねられているサスケのアパートに一泊してから帰る際、一人で電車に揺られて地元の駅に降り立った時に、サスケが居を移したという寂しさが押し寄せて来た。それでも、子供の頃からまるで兄弟のように育ってきたサスケが同じ街から出て行ってしまった事が信じられないような気持ちになって、家路を辿る足取りは段々と速くなる。家に着く頃にはほとんど駆け出していて、気がつけば肩で息をしていた。そのまますぐ自宅へ入る気になれず、わざわざサスケの実家に上がり込んだナルトは、きっと泣きだしそうな顔をしていたに違いない。挨拶もそこそこに横をすり抜けたミコトが、不思議そうな表情を浮かべていたからだ。
 あの時、サスケの部屋に上がり込んだ時に受けたショックは、今も思い出す度心臓に悪い。大抵のものは勉強の邪魔になるからとそのまま残されていたけれど、勉強机の上にいつも置いてあったペンケースや電子辞書が姿を消していた。当たり前だけれど、部屋の中はさほど変化は無いのに、サスケが普段使っているものだけが無くなっている。そんな風景を目の当たりして、サスケの気配は感じられるのに彼だけが居ない部屋の物足りなさを突き付けられ、余計に寂しくなったのだった。
 今の心境は、あの時のそれに良く似ている。失う訳では無いのに強い喪失感と寂しさを覚えるのは、きっと今まで近くに居過ぎたせいだ。いつまでも、何もかもずっと一緒では居られない。そんな事は解りきっているし、今まで幾度となく自分に言い聞かせてきた。変わらぬ関係を望むなら尚更、同じ場所にしがみついている訳にはいかない。
 携帯が震えた事に気づくと、ナルトは小さく息を吐いてからポケットの中を探り、振動し続けるそれを取り出した。共に仕事をする仲間との時間も悪く無い。女々しく寂しがっている暇があるなら、初任給を貰うまでにサスケが喜んでくれそうな店を探す事に時間を費やすべきだ。
 液晶画面に映っているのが上司の名前である事を確認してから電話を受ける。遅くなってゴメンね、もうすぐ着くからと穏やかな声で告げる相手に明るい声で返事をしながら、もう一度だけ公園の出口の方へ視線を向けた。当たり前だがそこにサスケの姿はもう無い。
 闇色に染まった空の下、灯りに照らされた桜は昼間の優しい桃色とはまた違い、美しい白さの中に妖しさを湛えて人々を魅了する。早朝から広げていたブルーシートの上には既に数多くの花びらが散らばっていた。時折秒速五センチメートルで視界を掠める白いそれにつられるように頭上を見上げれば、昼間とは全く違う雰囲気の桜の木に圧倒される。綺麗だと、素直にただそう思った。
 舞い落ちる花びらを頬で受け止めて、電話越しに聞こえる声に相槌を打つ。失礼します、と挨拶をしてから通話を終了し、携帯をポケットに押し込むと頬に落ちて来た花びらを摘んで掌に乗せた。
 今度は、夜にサスケと花見をしよう。まだ酒の飲める年齢では無いけれど、温かい缶コーヒーでもあればきっとそれで十分だ。今日は実家に泊まると言っていたし、講義は来週からの予定だという事だったから、きっとそれくらいの余裕ならあるに違いない。
 今日の花見が終わったら、早速電話をかけてサスケの予定を押さえようと考えたナルトは知らず知らずのうちに口元を綻ばせる。否、折角近くにいるのだし、電話などでは無く直接部屋に押し掛けたっていい。遠距離などと嘆くにはまだ早い。
 サスケと見る夜桜は、きっと誰と見るより美しい。そんな確信を抱きながら、既に宴会を開始している周りの人々をぼんやりと眺めた。何もかも仕方の無い事と割りきって寂しさに耐えるのは、もう少し大人になってからでいい。今はまだ、あとほんの少しだけ、サスケの手を取って共に過ごせる時間がある事への感謝を抱きながら、掌に乗せていた花びらを静かに手放した。