※リーマン×リーマン。2015バレンタイン。24歳くらい。
今年のバレンタインは土曜ですが、平日の設定で読んで頂けると助かります(笑)
運転席の扉を開けた瞬間に車内に流れ込む冷気をコートの襟元を引っ張る事で凌ぎ、助手席に乗せていた荷物を持ってナルトは慌ただしく車を降りる。右手首に付けている腕時計の盤面を見ればまもなく午後九時になろうとしていた。
はぁ、と深い溜め息を吐き、降りた社用車をしっかりロックしてからコートのポケットに鍵を突っ込む。左手に下げた鞄から覗く茶封筒を確認し、まだところどころ電気の点いているビルに足を踏み入れた。
エレベーターを待つ間、見慣れた筈の場所が寒さと静けさでやけに寂しく感じられ、思わず辺りを見回してしまう。自分の吐いた息が白く染まる事に気づけば余計に寒さが増した気がして、思わず小さく身震いした。軽快な音を立てて到着を知らせたエレベーターに足早に乗り込み、冷たい空気から逃れるように素早くボタンを押して扉を閉める。無意識のうちに再び小さく溜め息を漏らして壁に背を預ければ、僅かに覚えた眠気を目を瞬く事で逃がそうと試みた。
二月十四日、世間でいうバレンタイン。サスケと恋人と呼べる関係になってからもう長いナルトは、嬉々として例年通りにサスケが気に入っているレストランに予約を入れた。年が明けてすぐに予約を押さえたと報告すれば気が早いと呆れた顔をされたものの、予定が決まっていれば予約を取るのは早いにこした事は無い。なんだかんだでイベント好きの日本人のこと、放っておけば人気の店はすぐに予約で埋まってしまうのだ。
最近はバレンタインのプレゼントはチョコレートに限らず多岐に及ぶものの、本命も義理も未だ主流はチョコレートである。基本的にイベントの類には積極的に参加したいスタンスのナルトだったが、如何せん恋人のサスケは甘いものが苦手ときている。だからと言って、ナルトにしおらしくチョコレートを用意してくれるようなタイプでも無い。それでもイベントの類には乗っかりたいナルトが考えたのは、バレンタインには自分からサスケに何かしら贈り物をし、サスケからのお返しはホワイトデーに貰うというものだった。
品物が何であれ、男がバレンタイン用のプレゼントを買うのは流石にちょっと恥ずかしい。けれど、ホワイトデーならば問題無いだろう。しかし、実のところそんな事を気にしているのは男くらいのものかもしれない。接客業に就いている友人が仕事の愚痴と共に話してくれた、バレンタインデーもホワイトデーも主な客は女性だという実態がそう示しているような気がした。
目的の階に着いた事を知らせる控えめな音が鳴り、エレベーターが停止して扉が開く。早足で自分のデスクに向かいながら、ナルトはもう一度腕時計で時刻を確認した。
施工管理課は誰も残っておらず既に消灯されていて、思わずああ疲れた、と口から本音が漏れる。本当ならば、今頃は予約したレストランでサスケとデートしている筈だったのだ。ホームページで見たトマトを使ったデザートがとても美味しそうに見えた事を思い出し、尚更悔しくなって無意識のうちに表情を曇らせた。普段ならば気にならないのに、同じ課に属する社員が全員退社している事もナルトの不満を募らせる。
数日前、サスケから暫く残業続きになるかもしれない、と言われた時から嫌な予感はしていたのだ。しかしまさか、当日になって自分の方が面倒な仕事を押し付けられる羽目になるとは思わなかった。
サスケが所属する設計課が設計を承る仕事の種類は想像以上に多岐に及んでいる。大がかりな建物から水道の配管まで、設計と名のつくものなら何でも屋レベルだ。サスケは実力と才能こそ社内外で評価されているものの、大卒で入社した為まだそれほどキャリアがある訳では無い。まだ大きな仕事を任せて貰える訳では無いのに、彼の優秀さを把握している上司は、それでいて急な締め切り期日の変更や中間報告の要請にせっつかれるような仕事をサスケに回したりする。どんな内容の仕事でも黙々と着実にこなすサスケは、酒でも入らない限り滅多に愚痴も零さない、サラリーマンの鑑のような男だ。
今期は、十月から三月の長期スパンで請け負っていた配管工事の為の設計を数人のチームで行っていたらしい。今までにも幾度か進捗状況の報告は行ってきたようだったが、三月の最終締め切りに向けて最後の報告を行わねばならない局面になって、流行していたインフルエンザにやられてサスケのチームから二人も会社を休む事になった。
企業によって対応の仕方はまちまちだろうが、ナルトとサスケが勤める建設コンサルタントではインフルエンザにかかった者は五日は自宅待機と決まっている。感染を広げない為にもそういう規定は重要だし、勿論守る事が当然だ。しかし、元々少人数で結成されていたチームから五日間、二人も離脱するという事は、多大なるスケジュールの乱れを意味している。勿論それによって進捗は大幅に遅れる結果となり、その穴埋めの為に他の社員やサスケが連日残業に追われなければならない羽目になった訳である。
サスケの話でその事態はきちんと把握しつつも、バレンタイン当日だけは少し早めに上がって食事に行く余裕くらいあるのではないかとナルトは呑気に考えていたし、レストランを予約している事を知りながらそれを取り消せと言わなかったサスケもおそらくそんな風に考えていたのだろう。
しかし、当日になって予定外に長時間の拘束を強いられたのはナルトの方だった。一日の仕事をこなし、定時の時刻になってそわそわと帰り支度を始めたナルトは、社内をうろうろして野暮用を押し付けられないようにどこか近くの喫茶店に移動して時間を潰すつもりでそそくさとコートを羽織る。パソコンで日報をつけ終え、旧式のタイムカードの機械で退社の記録をつけようとしたその時、申し訳無さそうな表情を浮かべた上司からお呼びがかかった時には正直気づかない振りをして逃げ出したかった。しかし、いくらなんでもそんな事をする訳にはいかない。どうせサスケも残業なのだからと、腹をくくって話を聞けば、今から取引先に直接出向いて欲しいという要請だったという訳だ。
ナルトとて、それがいくら時間外でも、仕事を任される事自体は頼りにされているようで嬉しい。しかし、前々から楽しみにしていたイベントの当日、しかも車で往復三時間程かかる場所へ行ってくれと突然言われれば笑顔でふたつ返事という訳にはいかない。
それでも、入社直後、否ナルトがまだ高校生の頃アルバイトとして雇われていた頃から何かと気にかけてくれる上司直々の頼みを無下に断る選択肢など無いに等しかった。今度何かお礼するから、と両手を合わせるまだ年若い部長に頷き、社用車の鍵を受け取ったのが午後五時過ぎ。それから車を法定速度の範囲内で飛ばして用件を済ませ、とんぼ帰りで帰社してもこの時間になってしまった。
朝の時点では特に人と会う予定も入っていなかったのに、帰りに直接レストランへ向かうつもりで着て来たスーツがこんな形で役に立つとは思わなかったと少々皮肉めいた心持ちで考えて、必要最小限の電気を点け自分のデスクの上に鞄を置く。片面が使用済みのコピー用紙の山から一枚抜き取ってペンを取り、なるべく汚い字にならないように注意しながらメモを作ると、取引先から受け取って来た茶封筒とまとめてクリップで留め、部長のデスクの上に乗せた。
しかし多忙な上司は色んなところから連絡事項を受け取っているらしく、デスクの上は付箋やメモで溢れている。少し迷って、パソコンのディスプレイに封筒を立て掛ける事にした。これならば嫌でも朝イチで目に入るだろう。
……サスケ、もう帰ったかな……。
やっと今日一日の労働を終え、日報をつけ直したナルトはふと恋人へ想いを馳せた。宣言通りここ数日残業に従事しているサスケの帰りは、大体九時もしくは十時頃である事が多い。一日中パソコンのディスプレイを見つめて設計の仕事をしていれば疲れも溜まるだろうと、そんなサスケを気遣って、当番に関わらず最近はナルトが一人で家事を行っていた。
あまり期待をせずにメールを送信してみれば、打てば響くような素早さでまだ社内に居る旨の返事が届く。それだけで胸が高鳴り、ナルトは無意識のうちに顔を綻ばせた。
それならば、レストランは無理でもどこか外で夕食を済ませて帰る事は出来る。どうせ二人とも疲れているのだ、帰ってから食事を作るのは面倒だし、出来合いのものを買おうにも惣菜を売っている店はもう閉店しているか、もしくは開いていても残り物しか無いだろう。弁当屋で購入する手もあるが、いずれにせよ帰宅してから温め直したりする手間がかかってしまう。例えナルトの奢りになったとしても、今日のところは楽して夕食を済ませ、帰宅後は出来るだけのんびりしたいというのが本音だった。
タイムカードも打ち直してから設計課へ顔を出すと、サスケを含めまだ数人の社員がパソコンと格闘していた。こんな時間にも関わらず、そしてバレンタインだというにも関わらず抜けた社員の穴を埋める為に仕方の無い事だとは言え、頭の下がる思いで恋人のデスクに歩み寄ると、気配を感じたらしいサスケが振り返ってほんの僅か口元を緩めた。
その表情変化はおそらくナルトにしか解らないであろうと思える程ささやかなもので、しかしそれだけで今日一日の疲れが吹き飛んでしまうような嬉しさに鼓動が速まる。それと同時にデスクの脇に置かれた紙袋に入った大量のチョコレートの包みが目に入ったものの、最早毎年の事である義理チョコに嫉妬心を抱いていたらキリが無い為見なかった事にした。
「サスケ、お疲れ」
「ああ、お前もな。夕方から遠出してたんだろ、この寒い中」
「おう。今帰って来たとこ」
先に周りの社員にお疲れ様です、と声をかけてからサスケに声を掛けて傍らに立つ。荷物を床に置いてパソコンの画面を覗き込めば、複雑に線が入り組んだ設計図が映し出されていた。同じ会社に勤めていながら、画面を見ても何が行われているのか相変わらず全く理解出来ない。
うちはサスケという男は昔から頭が良かった。高校を卒業するのにすら四苦八苦したナルトから見れば、頭が良いという一言では片付けられないくらい優秀なのだろうという評価しか出来無い。おそらく小学生の頃にはもうそういう認識が植えつけられていて、高校へ進学しても、就職して成人しても、未だにその認識は変わらなかった。
設計という仕事を良く知らないにも関わらず設計課の中で一番優秀なのはおそらくサスケなのだろうとナルトは本気で思っているし、先に入社した先輩の社員だってもう暫くすればサスケに追い抜かれるだろうとすら真剣に考えている。
そんな事を考えながらサスケの目の前のディスプレイを覗き込んでいると、周りの社員達が示し合わせたように帰り支度を始めた。それまで静かな部屋で脇目も振らず集中して作業していたところに、ナルトが入ってきたせいでやっと現在の時刻を認識したらしい。
うちはもほどほどにしろよ、うずまきも用が終わったならさっさと退社しろ、と凝り固まったのだろう肩を回しながら言う先輩社員にナルトは素直に肯定の返事をし、サスケはあと少しでキリが良いところまで終わるのでそこまでやってから帰ります、と淡々と呟いた。その返事に一応満足したらしく、消灯宜しく、と言い残すと先輩の社員達は連れだって設計課を後にする。宣言通りにパソコン操作を再開したサスケの姿に小さく笑み、せめてコーヒーでも淹れて来ようとナルトは静かに給湯室へ向かった。
あと少しというのはどうやら本当だったらしく、ナルトが二人分のコーヒーを淹れて設計課へ戻る頃にはサスケはパソコンで日報をつけているところだった。無言で歩み寄り湯気を立てる紙コップを差し出せば、サスケは礼も言わずに受け取ってコップの淵に口を寄せる。一口啜る直前にさりげなく息を吹きかける癖が可愛らしくて、緩む口元をナルトはコップで隠した。本人は認めたがらないが、サスケに猫舌の気がある事はとうに把握している。
「……はァ、ホントなら今日はサスケとデートの予定だったのになぁ……」
隣のデスクの椅子に腰を降ろしながら呟けば、紙コップを傾けながらシャットダウンの操作を終えたサスケが静かにそうだな、と言葉を返して来た。てっきり仕方ねえだろ、だとか子供みたいな事を言うな、だという風に諫められると思っていただけにこの返答は予想外で、思わずまだ随分中身が入っている紙コップを取り落としてしまいそうになる。慌てて両手で支えると、サスケが小さく喉を鳴らして笑う気配がした。
もしかして、ナルトが思っている以上にサスケも楽しみにしていてくれたのだろうか。そう思うだけで嬉しさが湧きあがり、紙コップで掌を温めながらコーヒーを啜った。サスケに手渡したブラックとは違い、ナルトのものにはミルクと砂糖が入っていてふわりと鼻先に漂う香りもほんのりと甘い。その甘さで足元に置いた荷物の存在を思い出し、一旦紙コップをデスクに置くと可愛らしい柄の紙袋を持ちあげて見せた。
「そういや、サクラちゃんからのチョコ、受け取って来たってばよ」
後でサスケからもお礼言っとけよな、と付け足して中身を取り出してみれば、例年通りサスケが気に入っているメーカーのチョコレートの他に、丁寧にラッピングされた包みが入っている。サスケが頷くのを確認してから包みを袋へ戻し、代わりに同僚に貰った義理チョコの包装紙を開けると、いくつか並んでいるチョコレートのうちのひとつを口に運んだ。
他の会社で働いているサクラは、学生の時から毎年二人にチョコレートをくれる。手作りというもの自体をあまり好まないサスケには少し値の張る市販品を、手作りが良いとねだるナルトには手作りを用意してくれるのは恒例の事だ。サスケへのものは念入りなリサーチの元わざわざデパートまで足を運んで買い求め、ナルトへの手作りもチョコレートだったりマフィンだったりと、二年続けて同じものが続かないように気を遣ってくれている。
手作りもするのにわざわざ買いに行って貰うのも気が引けて、一度、サクラが作るものであればサスケも手作りだからといって嫌がったりしないと思う、と伝えてみた事があった。あれは確か、何年か前の一月。バレンタイン前に毎年サスケの好みをリサーチしてくるサクラからのメールに返事をするついでに、仕事が終わったら久しぶりに会わないかと喫茶店へ誘った時の事だった。
ナルトからの質問が意外だったのか、僅かに驚いたような顔をしたサクラは、ほんの少しの沈黙の後にそういう事じゃないのよ、と言って笑った。私が満足したいんじゃなくて、サスケくんに喜んで貰いたいからこれでいいの。それに、どうせアンタの事だから自分の分サスケくんにも食べさせてるんでしょ。まあ、そうだろうと思っていつも二人分作ってるんだけど。
それに、義理にしたってどうせ手作りも市販品も用意するんだから一緒よ、と言って笑顔を浮かべるサクラは、未だに恋人が居ないという事実が信じられない程に魅力的だった。その数分後、喫茶店の伝票を押しつけてくる時すら思わず可愛いと思ってしまうのだから、他の男がどうして放っておくのかナルトには理解出来無い。彼女から恋人の話や、それどころか結婚報告などされようものなら、サスケという恋人がありながら動揺してしまう自信はある。それ程までに、ナルトにとってサクラは、可愛くて魅力的で、いつまでも初恋のアイドルのままだった。
それにしても、それでは結局のところ、サクラはナルトとサスケ二人分を手作りで用意し、サスケには別に値の張る高級チョコを購入している事になる。まあ、お返しと称してホワイトデーには毎年彼女のリクエストに応える形で三人で食事をしにいくのだから、三倍返しの責務は果たしてはいるのだけれど。
ナルトにとってサクラがいつまでも初恋のアイドルのような存在であるように、サクラにとってもサスケはそういう存在なのだろう。なんだかんだでサスケもサクラを特別視しているようで、ホワイトデーの食事にどこに行きたいかという質問に対してサクラがどんなに予約の取りづらい人気店を挙げても、普段なら手の出ないような高級店の名前を挙げても嫌な顔ひとつした事は無かった。それどころか、ナルトが予約しようとした時には既に枠が埋まっていたレストランでも、どういう手段を使ったのか一週間後にはしれっとした顔で予約した、とのたまっているのだから、普段態度には出さなくともサクラの事を大切に思っているのかもしれない。
「……腹減ったな。何か食って帰るか」
耳に届いた言葉で我に返れば、ナルトの手元に視線を注いだサスケがどことなく羨ましそうな顔をしているように見えた。甘いもの嫌いな恋人の事だ、勿論見間違いなのだろうけれど、こんな時間まで仕事をしていたのだから余程空腹なのだろう。
ナルトとしても同じ提案をしようと考えていた為、二つ返事で頷いて紙コップに残っていたコーヒーを飲み干した。そのままチョコレートの箱に蓋を被せようとしたところで、並んでいるチョコの中に酒入りのボンボンショコラがある事に気づく。普通のものは剥き出しで箱の中に並んでいる事が多いのに、何故か酒入りのものは解り易く包まれている事が多い。瞬時に思いついた悪戯を実行する為に誰も居ない事を素早く確認すると、包み紙を開いてまずは自分の口に放り込んだ。軽く歯を立てれば口内に広がる芳醇な味と香りにそれがウイスキーかブランデーを使用したチョコレートだという事が解り、サスケの反応を想像して瞳を輝かせる。その次の瞬間には、コーヒーを飲み終え帰り支度をしながらネクタイを緩めているサスケの肩を掴み、強引に自分の方を向かせ唇を重ねた。
唐突な出来事に流石に驚いた様子のサスケが瞠目したのが至近距離でも解り、シチュエーションも相俟って胸が高鳴る。場所を考えてか反射的に突き飛ばそうとしてくる腕を取り、手首を掴んで抱き込むように身体を寄せた。もう片方の手で顎を強めに掴み口を開かせ、舌を使って液体ごとチョコレートをサスケの口に押し込めば、急な展開に頭が追いつかないのかサスケは思いの外素直にチョコレートを受け入れる。
「……っ……てめ、……なにしやがる……」
手の甲で口元を拭いながら上目遣いに睨みつけてくるサスケは、場所と状況を考える事を放棄してしまいたいくらいには扇情的だった。溶けたチョコレートで濡れた唇に吸い寄せられるように顔を寄せ、そのまま二度目の口づけを試みるが、唇が離れた事で多少の落ち着きを取り戻したらしいサスケに容赦無い掌に顔面を押し戻される。
「なんでだってばよ……」
「その台詞そのまま返してやる、返答次第では俺は一人で帰るからてめえは好きなところで飯食って帰って来い。……つうか、会社で変な事すんなって前にも言っただろ」
誰も居ないのだから固い事を言うなと言葉を返そうと思ったのは一瞬の事で、仕事の疲れと最近の睡眠不足が重なって眼光鋭く睨みつけて来るサスケの瞳が宿す怒りは洒落に出来るレベルでは無かった。その気迫に圧されて素直に謝罪し、大人しくチョコレートの箱に蓋を被せると鞄に押し込む。空になった紙コップを重ねてくしゃりと潰しながら密かに恋人の表情を窺えば、言葉程機嫌は悪くなさそうでナルトは安堵と共に息を吐きだした。
それでもやはり疲れている事には変わりないのだろう、帰り仕度を終えてタイムカードを押すサスケの背中は心なしか覇気が無いように見える。今日のところはぐっと我慢して、外で夕食を軽く済ませて帰った後は、コーヒーでも淹れてサクラがくれた手作りのお菓子を食べる事にしよう、と思考しながらナルトはサスケの背中を追いかけた。
設計課を後にする際、電気を消したサスケが僅かに振り返って何か言いたげな表情を浮かべる。二人並んでエレベーターへ向かう際、途中にある給湯室のゴミ箱に潰した紙コップを捨てたナルトが機嫌を取るつもりで何が食べたいか訊ねてみれば、ラーメン、という素っ気ない返答に面食らってしまいすぐには言葉が出てこなかった。
普段ならば疲れている時に味の濃いものなど食べたがらないサスケの返事を不思議に思い、僅かな沈黙の後にその旨質問すれば、お前が食いたくないならいい、と不機嫌そうに呟いた恋人は到着したエレベーターに乗り込むと間髪入れずに扉を閉めるボタンを押してしまう。訳が解らずコートの裾を扉に挟まれそうになりながら慌ててエレベーターに飛び乗れば、楽しげに笑いを漏らすサスケの姿にほんの少しの憎らしさと同時に愛しさが湧きあがった。
「なんだ、そういう事する元気はまだ残ってんじゃねえか」
「お前が間の抜けた面してるからからかいたくなっただけだ」
「こんだけ長い付き合いで今更それ言うのかよ」
随分疲労が溜まっている様子だっただけに小さな事に安堵を感じてしまう自分は、おそらく相当サスケに参っている。自分が慌てる様子でサスケが笑ってくれるのであれば、いくら披露しても構わない。そんな気持ちは心の内に仕舞ったまま軽口を返せば、サスケは口元に笑みを浮かべたまま再確認したんだよ、と呟いた。
二人で居ても滅多に甘えたりしないサスケは、しかしナルトと二人きりにならねば見せない顔を時折見せてくれる。そんな何気無い事がひどく嬉しくて幸せで、恋人を大切にしたいという思いと同時に困らせてやりたいという欲望まで生まれてくるのだから、人間とは不思議な生き物だ。
エレベーターが一階に着くまでの短い間であれば、仕返しの悪ふざけは許されるだろうか。流行りの壁ドンとかいうやつをやったらサスケもときめいてくれんのかな、などと考えながら距離を詰めたナルトは、身構えられる前に壁際に追い詰めたサスケへと勢い良く手を伸ばした。出来るだけ雰囲気をつくろうと真剣な表情を浮かべた自分は少しでも恋人の胸を高鳴らせる事が出来るのだろうか、そんな考え事をする間も無く驚いた表情のサスケの顔が間近に迫る。すぐに目的地へ着いてしまうエレベーターが今ほど止まってしまえば良いのにと思った事は無かった。