※リーマン×大学生パロ2。「ノットイコール、ニアリーイコール」のその後。
朝早くからやかましく騒ぎ立てる蝉の声を聞きながら、スーツの上着を片手に引っ掛けて出社する。慌ただしくタイムカードを押すとギリギリ遅刻を免れたナルトはほっと胸を撫で下ろした。締めの日に係の社員が調整するのだろうが、気付けばタイムカードの機械の時刻が速かったり遅かったりと少々ずれている事がある。何故か今月は実際の時刻よりも三分程度早めの時間を指し示していて、あとほんの少し遅ければ危うくタイムカードに赤字が刻まれるところだった。
デスクに着く前から汗を掻いてしまい、シャツのボタンを上から二つ程外し、ネクタイを軽く引っ張って首元を緩めるとタオルで雑に汗を拭き取る。おはようございます、と同じ部署の同僚に挨拶すれば、危なかったね、と笑顔で返され困ったように笑みを浮かべた。
世間で言う夏休みの時期になっても、社会人には無関係だ。平日には出社せねばならないし、残業だってこなさなければならない。忙しさによっては休日出勤だって有り得る。有難い事にナルトの勤める会社の業績は上り調子で、毎日忙しいことこの上無かった。新入社員であるナルトは与えられた仕事をこなしながら今後の為に知識もつけなければならない。しかし忙しいのは皆一緒で、というよりも入社したてのナルトよりは先輩社員の方が遥かに忙しく、行き詰まったり解らない事があってもなかなか質問するタイミングが掴めずやきもきする事も多かった。
気を遣う事に慣れていないせいか精神的に疲れてしまい、ふとした瞬間に自分でも気づかぬうちに恋人に思いを馳せる事が最近増えている気がする。サスケは今頃何をしているだろう。せいぜい自宅もしくは図書館で勉強かアルバイトの二択なのだろうと大方の予想はついているのだが、それでも彼の存在を思い描くだけで疲れが癒される気がした。
最後までしたいとサスケに迫ってからずっと、なるべく考えないようにはしているもののいつ返事を貰えるのかが気掛かりでそれが頭の隅から離れなくなってしまっている。仕事をしていても、食事を摂っていても、アパートに帰って一人になると尚更、サスケのことばかり考えてしまう日が続いていた。
サスケを抱きたいと思うのは、彼を好きで堪らないからだ。でも、だからこそ、大切にしたいという気持ちも勿論ある。そんな葛藤の中で揺れ動いて前回はああいう形に落ち着いた。風呂上がりで色っぽいサスケを目の前にしても何とか理性を持ち堪えさせた自分を褒めてやりたい。午後から上司と共に訪問する取引先に電話連絡を終え、伝達事項をメモした大きめのポストイットをデスクトップの端に貼り付けながらナルトは無意識のうちに溜息を吐いた。
果たして、サスケはどう考えているのだろうか。というより、好きな相手にもっと触れたいと彼は思わないのだろうか。どっちでもいいから考えておいてとは言ったものの、身体を重ねるのは嫌だという結論を突き付けられてしまったらと想像すると気が気ではなかった。サスケの事が好きだし、彼との将来を真剣に考えている。しかし、この先ずっと手を出す事が許されないまま付き合っていけるかというと自信がある訳では無かった。
入社してまだ四ヶ月程度のナルトはまだ把握しきれていない事も多く、仕事の全てを一人でこなす事など到底出来ない。元々現在の会社でアルバイトをしていたとは言っても、高校生に任せる事の出来る雑用を引き受けていただけの話で、正社員として入社してからの仕事はアルバイトとは全く違った。解らない事は素直に聞き、教えられれば同じ質問を何度もしないようきちんと書き留めて頭に入れる。ほんの半年程前まで高校生だった頃の自分からは想像出来ない程に気を遣うし頭も回転させなければならず、大抵午前中は必死になっているうちに終わってしまう。十二時を回り社員達がちらほらを席を立ち始めるのに気付いたナルトは、急ぎのメールの返信を一件済ませて深く溜息を吐いた。
デスクの一番下の深めの引き出しからストックしてあるカップラーメンを取り出し、セロハンを開封しながら立ち上がる。食堂や仕出しの弁当という選択肢もあったが、忙しい日やデスクでさっと済ませてしまいたい時にはカップ麺が手軽で安上がりだ。それに、今日のカップ麺は特別。普段のように特売の日にスーパーでまとめ買いしたものでは無く、先日サスケのアパートへ泊まりに行った時に彼が土産に持たせてくれたものだった。いつもはちゃんと野菜を食えだのラーメンばかりは身体に悪いだのとナルトの食生活に小言を言うサスケだが、ナルトが贔屓にしているメーカーから出た新作をいち早く購入してくれていたらしい事を知って喜べば大袈裟なんだよと機嫌を損ねられた。しかし、長い付き合いだ。サスケが本当に不機嫌になった時と、照れ隠しに素っ気無い態度を取る時の違いくらい疾うに把握出来ている。どこか怒ったような表情でカップ麺を差し出してくれたサスケの様子を思い出せば、それだけで午前中の疲れなど吹っ飛んでしまう気がしてナルトは上機嫌で給湯室へ足を向けた。
給湯室はそれぞれの階にひと部屋ずつ用意されているが、流石に昼休憩に入ったばかりの時間帯は混み合う。待ち時間を潰す為スマートフォンを片手に一度は給湯室の入口に立ったものの、中に数人の女子社員の気配を感じると彼女達の用が済むまで外で待つつもりですぐ側の壁に背を預けて新着メールを確認した。サスケからの連絡を期待してしまうが、サスケは用が無ければメールや電話を寄越さない性格だ。メールは大抵何となく登録したメールマガジン、平日の午前中に着信は滅多に無く、ごく稀に実家から大した事の無い用件で留守電が入っていたりするくらいである。
チェックを終え端末をポケットに仕舞ってから給湯室の中の様子を窺うも、まだ女子社員が出て来る様子は無い。カップ麺にお湯を入れるのくらいものの数秒で終わってしまうのだが、いかんせん給湯室は狭い。その狭い中に、電気ポットも電子レンジも冷蔵庫も流しもおさまっているのだ。強引に入れば絶対に誰かとぶつかってしまう。中に居るのが同じ男ならまだしも、女子社員と揉め事を起こせば面倒な事この上無い。喋ってないで早くしろよ、と悪態を吐くのは心の中だけにして、持て余した時間をぼんやりと潰していると、扉が開けっぱなしだった為会話が漏れ聞こえてきて何となく耳を傾けた。
「ねえ聞いてよ。この間さぁ、彼氏のうちに泊まったんだけど。予想通り迫られて嬉しかったんだけど、すんなりオッケーしてカンタンな女だと思われるのもあれだなーって思って、ちょっと嫌がる振りしたら本当にやめちゃって。マジありえないよね」
「えー」
「押し弱すぎじゃない?」
「だよねー!?私もガッカリしちゃってさー…」
決して盗み聞きするつもりだった訳では無い。待っている間が暇で、聞こえて来た会話を何となく聞いてしまっただけだ。しかし、会話の内容が内容なだけに会話に釘付けになり、聞き耳を立てて話の続きを窺ってしまう。聞くのに夢中になるあまり手にしていたカップ麺をうっかり取り落としそうになって、慌ててもう片方の手を添え給湯室の入口から距離を取った。
えっ!?ええっ!?女の子ってそういうもん!?つうかもしかしてサスケも!?もしそうだったら俺すっげえ根性無しって思われてる!?今頃呆れられてたらどうしよう、とすっかりパニックになって先程聞いた会話が頭を駆け巡る。女子社員達が給湯室を出て行くのを少し離れた場所から確認してから給湯室の中へ入り電気ポットの前に立っても、心臓がバクバクと音を立てていてお湯を注ぐどころでは無かった。
サスケに無理をさせたくなくて引き下がったつもりだったが、押しの弱いヘタレと思われてしまったのかもしれない。サスケはあんな性格だし、自分から色事の誘いを仕掛けてくるのはどうにも照れくさいのだとしたら、ナルトが迫っても一旦は拒否してみせるという可能性も十分考えられるのではなかろうか。もしかして、あの時強引にしてしまうべきだったのか。終わりの無い思考にぐるぐると頭を悩ませていると、背後からおいうずまき早くしろと急かす声が聞こえて、慌ててカップ麺に湯を注ぐ。
カップ麺の中身を零さないよう注意して自分のデスクに戻る間も、一度囚われた思考からは抜け出せないままだった。サスケが先程の女子社員のような考え方をするとは、冷静に判断して到底思えない。けれど、彼の真意は見えないままだ。当たり前だ、何年一緒に居ようと、どれほど彼の事を好きで焦がれようとも、頭の中まで覗ける訳ではない。思いは言葉にしなければ伝わらない。関係性に頼った思い込みなどするべきでは無いのだ。
あの時のサスケは、本気で戸惑っているように見えた。こんな事を言えば本人は否定するかもしれないが、ナルトにはほんの少し怖がっているようにも見えた。だからこそすぐに引き下がったのだ。ただ行為に及べれば良い訳では無い。勿論、即物的な欲もあるし出来ればサスケとエッチなことしてきもちよくなりたい、というのも本音ではあるが、サスケの気持ちが伴っていなければ意味が無い。ナルトの独りよがりで身体を重ねても、恋人を傷つけるだけだ。サスケに、抱き合う事を気持ち良いと思って貰えなければ愛し合っているとは言えない。
「男同士なんだし、サスケは女の子じゃねえんだし、フリで嫌がったりしねえよな…」
どうするべきだったのか頭を悩ませるあまり思考をそのまま口に出してしまい、慌ててきょろきょろと辺りを見回すが幸いデスクの近い同僚は皆席を立っていた。
ピピピ、と三分経過を知らせるアラームが鳴り響き、慌ててナルトはそれを止めて割り箸を手に取る。いつもは長く感じられるお湯を入れてからの三分間があっという間で、得をしたのか損をしたのか解らない気分に複雑そうに口端を歪めた。女子社員の話を聞いてしまった時には動揺のあまり食欲などどこかへいってしまった気がしたが、現金なものでカップ麺の蓋を剥がせば香ばしい匂いに腹が鳴る。何はともあれ、今日は平日で、午後からも仕事。ついでに言えば火曜日で、週末まではまだ遠い。取り敢えずはきちんと食事を摂って与えられた仕事を片付けねばと、ナルトは気を取り直していただきます、と両手を合わせてからラーメンを啜り始めた。
サスケが答えを出すまで、彼を信じて待っていればいい。どんな結果になっても、それはサスケが真摯に悩んで出した答えに違い無いのだ。恋人がくれた新発売のカップ麺は特別に美味しく感じられて、ナルトは途端に気が軽くなったような気分になってラーメンを堪能する事に集中する。サスケも今頃昼食を摂っているのだろうかと考えているところに、ポケットに入れっぱなしになっていたスマホが振動してメールの着信を伝えた。