※保険医×中学三年生カカサス。2015バレンタイン。
今年はバレンタイン土曜日ですが、バレンタインが平日の年の出来事だと温かい目で見て頂けると助かります(笑)
ナルサク話「桜と舞う想い」から半月くらい前…かな、たぶん、おそらく(曖昧)
窓から見える景色はいつものように眺めが良い。冬の澄んだ空気がそうさせるのか、今日は心なしか普段よりも遠くまで街並みが見渡せるような気がした。
最寄りの駅で電車を降りてからたっぷり五分以上は坂道を登らねばならない高台にある学校の立地を、徒歩か自転車で通学する生徒達は煩わしく感じているのかもしれない。しかし、毎朝車で通勤するカカシにとって、職場からの眺めが良いのは喜ばしい事だ。
片付けなければならないけれど特に急いでいる訳でも無い書類に必要事項を記入しながらマグカップに手を伸ばしコーヒーを啜る。深い緑色のそれは、今年卒業する生徒達からの贈り物のひとつだった。バレンタインも兼ねて、と数人から渡された大きな包みの中にはマグカップと一緒にコーヒーやチョコレートなども詰め込まれていて、まだ自由になるお金が少ない彼女達が数人で資金を出し合って購入したとありありと解るプレゼントに、普段は表情が乏しいと言われているカカシですら胸が熱くなったのはつい先程の話だ。ねえ、使ってよ、先生。言われるがままにカップを洗いコーヒーを淹れ、折角だからと彼女達にもお菓子を勧めて談笑した余韻がまだ保健室に残っている気がした。普段病人か怪我人とカカシしか居ない保健室は、女子生徒数名の明るい笑い声で見違えるように華やぐ。しかしだからこそ、その賑やかさを失った時の静寂がより一層もの寂しく感じられた。
今日は、サスケもチョコレート沢山貰ったんだろうなあ。いや、サスケの場合甘いものがダメだって公言してるんだから、プレゼントがチョコレートだとは限らないけど。
コーヒーを口に含んだ瞬間広がる香りと丁度良い苦みにちいさく息を吐く。無意識のうちに頭に浮かんだ存在に、緩慢にペンを動かしていた手が止まった。
うちはサスケという生徒を、いつの間にか単にひとりの生徒として見られなくなっていた事にカカシが気づいたのは、ごく最近の話だ。学生の中でも保健室や保険医と関わる生徒は全体のごく一部で、カカシと顔見知りや知り合いになる数は少ない。勿論健康でいられればそれに越した事は無いので、保険医と関わり合いになどならないで済むならその方が良い。
成績優秀、スポーツ万能、素っ気無い態度の割りには交友関係に問題を抱えている訳でも無く女子生徒からも人気のあるサスケは、しかし何が気に入らないのかどこか斜に構えたところがあって、仮病を理由に良く保健室を訪れていた。最初のうちは良く居る捻くれた性格の子供かとあまり気にかけていなかったものの、強がる言葉の端々から滲み出る寂しがり屋の一面や、いつも不機嫌そうな顔をしている癖に不意に覗かせる笑顔に惹かれていつの間にか目が離せなくなっていたなんて、そんなありきたりで陳腐な台詞ではイマドキの中学生など口説き落とせないに違いない。しかし、カカシが胸中に抱くサスケへの想いを飾らずに言葉にするとそんな風にしか表現出来無かった。
飄々としているように見えてどこか抜けたところがあると、生徒達の間では専らそう評されるカカシしかいない保健室では多少気が抜けるのか、サスケのサボり癖をカカシが糾弾しなかった事も相俟ってか、時折保健室を訪れたサスケは、気紛れにぽつぽつと心の内を話してくれる事があった。彼が数年前に卒業していったイタチの弟であるという事実もそういう風にして知ったカカシが少々大袈裟に驚くと、兄さんは有名人だからな、と零したサスケが浮かべた苦々しい笑みが今も脳裏に焼き付いている。
あまり日常に変化の無いカカシにとって、中学生とは思えない程大人びたサスケと過ごす時間は心地良かった。だからこそ彼の仮病やサボりを責める事はせず、それどころかたまに来るサスケに飲み物を振る舞ったりしていたくらいだ。サスケはそれをカカシに対する借りであると考えていたようだったが、カカシからしてみれば甘美な秘密の共有に他ならなかった。そんな日々もあと少しで終わりを告げてしまう、その事実に名残惜しさと寂しさを抱きつつも、彼をまだ生徒であると認識出来ているおかげでかろうじて変な気を起こさずに済んでいるうちに離れられる事に僅かばかりの安堵を覚える自分は、おそらくまともな思考の持ち主では無い。
サスケが大きな紙袋を手に保健室の引き戸を開いたのは、そんな風にカカシが考えていた時の事だった。
とっくに放課後となり、それどころか部活の時間すらも過ぎてスクールバスも出てしまった校舎や校庭に残る生徒は少ない。夕陽がその傾きを増す毎に室内も暗くなり、西日の明るさだけでは不便さを感じ始めたカカシがそろそろ電気を点けようかと考えていた時刻である。何気無く壁にかかっている時計を見遣ればもうすぐ六時になろうとしていた。
「…………どうしたの」
緩慢な動きで振り返ったカカシが声を発するまでの僅かな時間で、サスケは既にカカシが座るデスクの側まで歩み寄り、抱えていた紙袋を無造作に深緑色のマグカップの隣に置いていた。
「今日が何の日か解ってんだろ」
一拍置いて、カカシののんびりした声音に応えるように普段通りの素っ気無い声が静かな保健室の空気を震わせる。そうだ、今日は年に一度のバレンタインであり、カカシはもう二年も前から今日は彼がここを訪れる事など解っていた。
一年生の頃から仮病を口実に保健室に出入りしていたサスケは、二月に入ったばかりの頃バレンタインのうざったさと憂鬱さを何の気なしにカカシに零した事があった。その時の物言いや口調からいって自慢でも照れ隠しでも無く、本気で困っていて出来れば回避したいのだという切実さが伝わってきたのは、おそらく甘いものを苦手としているサスケの食の好みをカカシが把握しているせいだろう。
それは大変だねえ、なんならオレが食べてあげようか。
そう口に出した時点ではほんの冗談のつもりだったし、サスケもそう受け取ってくれているものだと思っていた。だから、そんな何気無い世間話をしてから約一週間後、人が少なくなる時間帯を見計らうように夕陽が差し込む時間帯になって、紙袋を抱えたサスケが保健室を訪れた時には思わず瞠目してしまうくらいには驚きを隠せなかった事を覚えている。ん、と不機嫌そうな顔で押し付けられた紙袋の中には可愛らしくラッピングされた包みがいくつも入っていて、サスケにいち生徒以上の想いを抱きかけていたカカシでも、流石に罪悪感に苛まれた。
くれた子に悪いでしょ、という半ば無意識下で漏れた呟きは、決して紙袋を受け取ってしまった自分に対する贖罪の気持ちからでは無い。お返しなんてしねえ、甘いもの嫌いだからチョコレートも受け取りたくねえ、って言っても下駄箱や机の中に押し込んで来る奴の事なんて知るか、と怒ったように言いながら空いていたベッドに勝手に腰掛けるサスケは複雑そうな表情を浮かべていて、突き返す事も捨てる事も出来ずに本当に困り果てているように見えた。
斜に構えているように見えようが、多少口が悪かろうが、サスケの心根は他の生徒達同様優しくて傷つきやすい。手に余る荷物を抱えてどうしようかと途方にくれた時、数日前の記憶が蘇ってここへ来たのかと思えば、頼りにされているようで悪い気はしなかった。
困ったねえ、と他人事のように笑いながら二人分のブラックコーヒーを淹れたカカシは、じゃあこれは俺が預かっておくからサスケがここへ来た時のお茶菓子にしようか、と穏やかに告げて、紙袋ごとデスクの一番下の深い引き出しに仕舞いこんだ。幸いバレンタインデーに贈るチョコレートなどの菓子類はだいぶ日保ちするものも多い。約束通り、サスケが訪れた時に包みを開き少しずつ二人で口にして、春休みに入るまでには食べ終えるようにしていた。
しかし、卒業を控えたサスケが保健室を訪れる事は、最早数える程度しか無いだろう。今まで引き受けた贈り物は少なからずサスケも口にすると思えばこそ抱く罪悪感もそれほどでは無かったものの、今回はそうはいかない。贈り物をした女子生徒の気持ちを尊重出来なくなる、というのは建前で、サスケが訪れる事の無い保健室で、彼が残していったものと向かい合わねばならない現実にカカシは耐えられそうに無かった。
「解ってはいるよ。けどねえサスケ、お前もうすぐここへは来なくなるんでしょ。流石に、お前に宛てたものをオレ一人で食べるくらい無神経ではないよ、オレは」
自分でも大人げないとは思いながらも、わざと冷たい声音で告げるなりデスクの上に置かれた紙袋を押し戻す。紙袋の中には例年のように華やかに彩られた包みが所狭しと詰め込まれていて、思わず目を逸らした。その贈り主である女子生徒達はサスケと同じ高校に進学するのだろうと思うと、行き場が無いにも関わらず湧いて来る嫉妬心を自覚せざるを得ない。このまま何も告げず、他の多くの三年生同様、今までこの学校を卒業していった生徒達と同じように彼を見送るのだと、木枯らしが吹く季節になってからぼんやりと言い聞かせて来た努力が無駄になりそうで、サスケから見えない角度で視線を落とし歯を食いしばった。
いつになく冷たい声音が余程効いたのか、サスケは暫く無言のままその場に突っ立っていたかと思えば、一言も発する事は無いまま早足で保健室を後にする。紙袋はデスクの上に置きっぱなし、引き戸は開け放たれたままの状態で彼の足音が遠ざかるのを複雑な心持ちで聞いていたカカシは、完全に足音が消えたのを確認してから深く息を吐いた。
おそらく、サスケは卒業まで、否卒業後も、ここを訪れる事は無いだろう。彼にとってカカシは、サボりを責めず気楽に時間を共有出来る、話の解る間の抜けた保険医でしか無かった筈だ。まさか、カカシの方はサスケに生徒以上の感情を抱いていたなんて、きっと知る由も無い。だから、これで良かった。
言い聞かせるように頭の中で幾度も同じ言葉を反芻しながら、サスケが置いて行った紙袋を何気無く見つめた。多少罪悪感には苛まれるが、今更取りに来いと連絡も出来無い。ホワイトデーになる前には春休みに入ってしまうのだろうし、どうせここにある分は差し出し人も解らないに違いない。
そう考えるといくらか気が軽くなった気がして、カカシは無遠慮に紙袋の中を覗き込んだ。ブラックのコーヒーに合う、カカオたっぷりのビターチョコレートが無性に食べたくなって適当に中を探る。元はサスケが勝手に押しつけていったのだから、これくらいの事は許されるだろう。
「…………?」
包みの裏をひっくり返して中身の書いてあるものを探すうち、紙袋の底の方に隠すように入っていた包みがやけに目をひいて取り出した。それもその筈、他のものはピンクや黄色、オレンジや赤といった華やかな色の包み紙で綺麗に包装されているものばかりだったが、それはひとつだけ暗く深い緑色の包装紙に包まれていて、およそ中学生くらいの年齢の女の子が好んで選びそうなラッピングではなかったからだ。
矯めつ眇めつ視線を注いでいれば、それが有名なチョコレートメーカーのマロングラッセだという事はすぐに判明した。と同時に、カカシの脳裏にひとつの記憶が蘇る。
オレ、サスケと同じで甘いものってあんまり自分からは食べないんだけどさ。この間、アスマ先生にお土産で貰ったマロングラッセは凄く美味しかったんだよね。ほら、なんて言ったっけ、名前忘れたけど、包み紙が緑色の、あの有名なメーカーのあるじゃない。お前にも食べさせてあげたかったなあ。
確か、生徒達が冬服に衣替えし始めた季節だった。木々に生い茂る緑の葉が次々にその色を変え始め、遠ざかる夏に名残惜しさを感じながら、少しずつ冷たくなる風に冬の訪れを予感する、秋真っ盛り。いつものように保健室を訪れ、我が物顔でベッドを占領し仮眠を取ったサスケに、眠気覚ましのコーヒーを勧めながら何気無くそんな話をした事を思い出す。
甘いものが嫌いと公言しているだけあってサスケはその話自体にはさほど興味を示さず、相槌をひとつ打っただけで確かそれ以上は何も言わなかった。だからカカシも気に留める事無く今まで思い出しもしなかったけれど、きっとサスケはずっと覚えてくれていたのだ。
共に過ごす時間は多かったけれど交わした言葉はそれほど多く無かった。素行に問題があるくらい目に余る行動も無かった為、否それよりもうるさがられる事が怖くて、カカシもあまりサスケに説教じみた物言いはせずに過ごして来た。ただ彼の抱えている危うさや芯の強さ、隠していても滲み出る優しい心に惹かれて目が離せなくなっていただけで、考えてみればカカシはうちはサスケという人間を良く知らない。それはお互い同じで、きっとサスケもカカシの人間性や内心など良く解っていないに違いなかった。
しかしそれでも、今カカシの手の中にある包みは、サスケの気持ちの表れである事に間違いは無い。それが例え、三年間世話になった教師への感謝の気持ちだとしても、単なる別れの贈り物だとしても、まかり間違ってそれ以上に特別な意味を含んでいたとしても。
無言のまま暫く深緑色の包みを見つめていたカカシは、六時になった掛け時計から聞こえた控えめな音ではっと我に返った。気づけば空はオレンジ色から夕闇にとってかわり、室内はすっかり暗さを増している。当然ながらサスケの足音などもう聞こえる筈も無く、諦める事に慣れた心はすぐに決断を下せなかった。今ここで何も気づかなかった振りをして包みを紙袋の底にしまってしまえば、もう胸を掻き乱される事も無い。しかし、そうするには、耳に残るサスケの声が懐かしさからはまだ遠く、瞼を閉じれば浮かぶ彼の表情が思い出にするには鮮明すぎた。
どれくらいそうしていただろうか、突然弾かれるように踵を返すとカカシは白衣を羽織り右手に深緑色の包みを持ったまま保健室を飛び出した。どのみち彼は中学を卒業し、他の多くの生徒達同様カカシの元を、この学校を去って行くのだ。この贈り物に何か特別な意味など無くてもいい、ただおそらく傷つけてしまったであろう事には誠心誠意謝らなければならない。
それでも、カカシの胸は言葉で言い表せない感情と予感に溢れていた。追いかけて名を呼べば、振り返ったサスケの表情に僅かでも安堵のそれを見い出せる気がしていた。独りよがりでも構わない、勘違いでもしなければこんな恋の行き場はどこにも無い。
薄暗い校舎内で翻る白衣の裾を邪魔に感じながらも久しぶりに全速力で駆けた。坂道を下るサスケの後姿を目にした瞬間彼に対する思いが溢れて言葉など何も出て来なくなる。それでも声を張り上げて名前を呼べば、サスケは動きを止めてゆっくりと振り返った。不機嫌そうに歪められたその表情の中にやはり僅かな安堵を目敏く見つけて、密かに胸を撫で下ろす。緩慢な足取りで距離を詰める間にスリッパのまま出て来てしまった事に気づいたものの、今更格好をつけたところで無駄だと割り切って歩を進めた。カカシが手に持っている包みに気づいたらしいサスケが気まずそうに視線を逸らす。その仕草のあまりの可愛らしさに、年甲斐も無く鼓動が速まって胸が締め付けられた。
「……ねえ、……サスケ」
手を伸ばせば触れられるくらいの位置で立ち止まり、上がった息を落ち着かせるように殊更にゆっくりと言葉を紡ぐ。
「明日、保健室にサボりにおいでよ」
教師としてあるまじき誘い文句を呟けば、サスケは驚いたように顔を上げた。ここから始まるものが無くたって構わない。ただ、こんな風に別れてしまうには、うちはサスケという存在はカカシの心を捕らえ過ぎてしまった。
返事をしないまま暫く視線をさまよわせたサスケが小さく頷くのを確認すると、肩に入っていたのだろう力が抜けて急に肌寒さを自覚する。自分が緊張していた事に今更ながら気がついて、小さく笑いが漏れた。
太陽はとっくに沈んで町は闇に包まれ、家々の灯りや道路を走る車のライトで昼間とは別の明るさで辺りが照らされている。送っていこうか、と喉まで出掛かった言葉は飲み込んで、気をつけて帰りなさいとだけ言葉を紡ぐ。素直に頷いて踵を返したサスケの後姿を見送りながら、いつまで教師の振りが出来るのかと自嘲気味に己の胸に問いかけた。